大竹 貫一(おおたけ かんいち、1860年4月2日〈安政7年3月12日〉 - 1944年〈昭和19年〉9月22日)は、日本の政治家。衆議院議員、貴族院勅選議員。族籍は新潟県平民。 越後国蒲原郡中之島村(現:新潟県長岡市中之島)で、大庄屋・大竹英治の六男として生まれる。若槻元輔、長善館(吉田町粟生津)の鈴木惕軒に漢学を学ぶ。1873年、新潟学校に入り、1874年に官立新潟英語学校に入学し、土木工学を専攻したが、1876年8月に中退した。 1880年、中之島村会議員に就任(1912年まで在任)。南蒲原郡会議員、新潟県会議員も務め、刈谷田川改修工事、大河津分水路工事の実現に尽力し、「大竹宗」と呼ばれた強い選挙基盤を確立した。
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