西能 源四郎(さいのう げんしろう、1859年12月4日(安政6年11月11日)- 1916年(大正5年)12月6日)は、日本の実業家、政治家。富山県会議員や衆議院議員を務め、両砺銀行を設立し頭取となった。幼名・源之助、本名・義彰、通称・源四郎。号・五州、士強、耕萬里。 越中国礪波郡広安村(のち富山県東礪波郡福野町を経て、現南砺市)で、先代・西能源四郎の長男として生まれる。11歳で父が死去したため、母の実家で養育され、祖父・天富鼎太郎の薫陶を受けた。その後、富山藩儒・岡田呉陽の家塾で漢文、詩文を修めた。 自由民権運動に加わり、島田孝之らの越中改進党に参加した。富山県会議員を3期務めた(明治19年9月〜同12年2月、同21年3月〜同25年6月、同29年8月〜同年10月)。
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