小村 俊三郎(こむら しゅんざぶろう、 明治3年9月3日(1870年9月27日) - 1933年(昭和8年)4月12日)は、日本の外交官、大正・昭和期に言論界で活躍した記者。同時代日本の中国通の第一人者といわれる。中国通の先輩として「小ム俊」の名は知られていた。 小村寿太郎の又従弟である。年少の時に上京し、島田重礼の家塾に学び、続いて小村寿太郎の家に下宿しながら東京高等師範学校に学んだ。学校の教育方針を横議したため退学処分をうけた。1897年(明治30年)3月に高等師範学校から中退した後、私費留学生として北京に派遣した。専ら中国語を修め、袁世凱に招聘され、訳官として勤務の傍ら中国研究に従った。北清事変の際には、日本派遣隊の嘱託となって、青木宣純中佐の下に時文を書く仕事に当たり軍政を助け活躍した。
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