国貞 廉平(くにさだ れんぺい、天保12年3月22日〈1841年5月12日〉 - 1885年〈明治18年〉1月18日)は、日本の武士(長州藩士)、官僚。愛知県令。諱は景孝、景廉、景行。通称は鶴之進、直之進、直人、晩年には廉平。変名は逸水清助。雅号は韓山。 天保12年3月(1841年5月)、長門国萩城下松本村で長州藩士・国貞要助の嫡男として生まれた。藩校・明倫館で学び、万延元年(1860年)江戸の有備館に入り、大橋訥庵の指導も受けた。文久2年(1862年)藩世子・毛利元徳の近侍となる。 慶応2年正月(1865年)、鎮静会議員に加わり内乱の収拾に尽力。慶応2年5月(1866年)、干城隊頭取兼文学寮都講となり、さらに国政方を務めた。
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