原 亮三郎(はら りょうざぶろう、1848年11月13日(嘉永元年10月18日) - 1919年(大正8年)12月8日)は、明治から大正時代の政治家。公吏。実業家。出版経営者。銀行家。衆議院議員。 美濃国羽栗郡平方村(岐阜県羽栗郡平方村、福寿村を経て現羽島市)出身。原忠左衛門の子。生家は代々農業を営み、同地の里正を務めた。亮三郎は16歳にして家業を継ぎ、大庄屋となった。 1871年(明治4年)東京に出て藤川三渓の門に入り、のち神奈川県史生に任ずる。ついで権少録に進み戸長も務めた。1875年(明治8年)横浜に出版社金港堂を創業し、翌年東京日本橋に移転する。教科書や文芸雑誌、書籍などの出版にあたった。
出典:ウィキペディア「原亮三郎」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
