吉岡 順作(よしおか じゅんさく、元治元年10月11日(1864年11月10日) - 昭和19年(1944年)9月3日)は、山梨県出身の医師。 甲斐国山梨郡徳条村(現・笛吹市春日居町)に、医家であった父・応治の長男として生まれる。明治12年(1879年)に山梨県立医学校に入学し、明治16年(1883年)3月に徽典館医学科(山梨県立医学校から改名)を卒業後、東京に出て田代基徳について医学を修め済生学舎に通学し、明治20年(1887年)4月に医師開業免状を受け東八代郡石和村に医院を開業。明治21年(1888年)3月には西山梨郡甲運村(現・甲府市)に移転、その後、明治23年(1990年)に東山梨郡岡部村、明治30年代に生春医院の名称で石和村、明治40年(1907年)に甲府市富士川町に移転している。
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