荒川 亀斎(あらかわ きさい、文政10年4月25日(1827年5月20日) - 明治39年(1906年)10月14日)は、島根県松江市横浜町出身の彫刻家である。名は明生、通称は重之輔。木彫りの彫刻等が有名であるが、機械器具の発明家でもある。 幼少期から彫刻界の天童と謳われ、地元では名の通った彫刻家だった。彫刻だけでなく、日本画、国学、書道、金工などを幅広く身につけた。1893年シカゴ万博に「稲田姫像」を出品して優等賞、1900年パリ万博に「征韓図」を出品して銅牌を受賞した。1890年小泉八雲と出会い、その後も交流が長く続いた。1906年死去。洞光寺に葬られた。 明治期に西洋から導入された「美術」という概念のもと成立した近代木彫の分野では、高村光雲がその最初の人物とされることが多い。
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