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窪

窪田畔夫

くぼた くろお
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窪田 畔夫(くぼた くろお、1838年12月5日(天保9年10月19日) - 1921年(大正10年)4月30日)は、長野県の政治家。本名は窪田重国、号は松門であった。 信濃国筑摩郡和田町村(天領、現在の松本市和田)に生まれ、青年期から寺子屋を開いて教育に従事した 1872年に開智学校の前身となった筑摩県学の開設を進め、また、市川量造らとともに、松本を拠点とした『信飛新聞』の創刊に参加した。以降、同紙や、1876年に改題した『松本新聞』の紙面で、自由民権運動の論陣を張った。 1879年には、北安曇郡の初代郡長となり、在任中の1883年には渡辺敏らとともに白馬岳に初登頂した。 1888年に長野県会議員、1892年には帝国議会衆議院議員となった。

出典:ウィキペディア「窪田畔夫」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋