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秋

秋山白巌

あきやま はくがん
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秋山 白巌(あきやま はくがん、元治元年2月20日〈1864年3月27日〉 - 1954年〈昭和29年〉2月23日)は、日本の書家。諱は純、通称は隆道、白巌は号で、別号を碧城・探淵という。晩年、白巌と号し、碧城でも名が通っている。 田安徳川家の家臣秋山義隆の次男として江戸青山に生まれる。書は初め巻鴎洲に学び、後、巻菱湖の内弟子となった。明治19年(1886年)に渡清して徐三庚の門に学び、明治24年(1891年)に一旦帰国し、中村蘭台や西川春洞に大きな影響を与えた。帰国後、東京市京橋区に「弘書学院」を創立し書道の通信教育をはじめ、日本各地や台湾で書塾を開き、書道の普及に努めた。 明治初期の日本の書道界は、明治13年(1880年)の楊守敬の来日を機に、日下部鳴鶴・巖谷一六・松田雪柯などの活動によって六朝書道が盛行し、江戸時代とは全く異なる様相を呈してきた。

出典:ウィキペディア「秋山白巌」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋