龍岡 資峻(たつおか すけたか)は、幕末から明治時代にかけての薩摩藩士・日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大尉。上原勇作の実兄である。 天保11年10月(1840年)、龍岡資弦の長男として生まれる。通称は小十郎、三作。嘉永元年(1848年)、9歳にして都城領主島津氏の児小姓となり、大島流槍術師範・白尾国宝から四面の奥義を授けられた。 安政2年(1855年)5月、番頭座詰となり、翌3年には番頭役兼道橋奉行に進み、町奉行をも兼ねた。文久2年(1862年)5月、島津久静が兵を率いて上洛した際にはこれに従って謀議に参与し、献策を行った。 慶応2年(1866年)、長崎派遣を命じられて鉄砲を購入し、洋式訓練を学んで帰藩した。
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