平野 勇造(ひらの ゆうぞう、1864年12月21日〈元治元年11月23日〉 - 1951年〈昭和26年〉2月9日)は、日本の建築家。旧姓は堺、その後佐藤。幼名は七五郎。 石川島造船所創業者の平野富二、および東京海上保険支配人の益田克徳の娘婿で、長男は平野義太郎(最初の妻との間の子)。 ※以下の文章では当人を指す名称を1890年以前は「七五郎」、以後は「勇造」とする。 陸奥国北郡大畑(現在の青森県むつ市で、旧大畑町)に生まれる。堺喜藤治の四男だった。家系は堺で海運業を営んでいた「納屋衆」の系譜で、その一族から越前国の三国に嫁いだ女性の子孫が大畑に移り住み、海運が盛んな大畑で廻船問屋となった。「三国屋」の屋号を持ち、一族の故地にちなんで「堺」姓を名乗った。
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