槙山 栄次(まきやま えいじ、1867年5月17日(慶応3年4月14日) - 1933年(昭和8年)6月12日)は、明治時代から昭和初期にかけての日本の教育者、文部官僚。 出羽国米沢(現在の山形県米沢市)出身。山形県師範学校を経て、1891年(明治24年)に東京高等師範学校文学科を卒業。秋田尋常師範学校教諭、東京高等師範学校助教諭・書記、文部属、宮崎県尋常中学校教諭、山形尋常師範学校校長、北海道師範学校校長、東京女子高等師範学校教授を歴任。1905年(明治38年)、ドイツ・アメリカ合衆国に留学。帰国後、文部省視学官、東京女子高等師範学校教授、文部省督学官を務めた。1919年(大正8年)、奈良女子高等師範学校校長に就任した。
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