浅川 彰三(あさかわ しょうぞう、1877年 - 1942年)は長野県出身の造船技師。造船の権威として知られ、東京帝国大学教授も務めた。従四位、勲三等瑞宝章受章。 長野県南佐久大日向にて、1877年(明治10年)4月3日に浅川愿三郎(嘉永3年生)の二男として生まれる。幼少期に起きた秩父事件では生家が豪農として目を付けられ襲撃を受けたが、予め避難しており家族に被害は無かった。1896年(明治29年)松本中学校を卒業。金沢の第四高等学校を経て東京帝国大学工科大学へ進学。1902年(明治35年)7月に同大学の造船学科を卒業し、大阪鉄工所に入社した。ここで日本最初の油槽船・虎丸を設計。その後、1911年(明治44年)に神奈川県の浦賀船渠へ移った。
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