上田 太郎(うえだ たろう、1868年11月15日〈明治元年10月2日〉- 1937年〈昭和12年〉5月16日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級。 美濃国不破郡矢道村(青墓村、赤坂町を経て現岐阜県大垣市矢道町)で上田半右衛門の長男として生まれ、1909年(明治42年)に家督を相続した。 1888年(明治21年)岐阜県第一中学校(現岐阜県立岐阜高等学校)を卒業。1892年(明治25年)7月、陸軍士官学校(3期)を卒業し、1893年(明治26年)3月、陸軍歩兵少尉に任官。日清戦争に従軍。1901年(明治34年)11月、陸軍大学校(15期)を卒業し参謀本部に配属された。日露戦争では大本営兵站総監部副官として出征した。
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