和田 稔(わだ みのる、1922年(大正11年)1月13日 - 1945年(昭和20年)7月25日)は、福岡県小倉出身の日本海軍軍人。最終階級は海軍少尉。 福岡県小倉市立堺町尋常小学校、静岡県立沼津中学校、第一高等学校(一高)を首席で卒業後、現役で東京帝国大学法学部に合格。沼津で開業医の温厚な父と、愛情深い母、兄思いの3人の妹と1人の弟の7人家族であった彼は、一高から東京帝大というエリートコースを順調に進み、都会に出て独り暮らしをするが、故郷が恋しくて、週末はよく沼津に帰郷していた。 帝大に入ってから、彼は学生生活と言いながら、軍事教練ばかりする生活に嫌気が差していた。日々、ラジオでは戦況の悪化が知らされている頃だ。
出典:ウィキペディア「和田稔」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
