穂積 五一(ほづみ ごいち、1902年3月26日 - 1981年7月17日)は、日本の社会教育家。アジア学生文化協会、アジア文化会館の創設者として知られる。アジア、アフリカ、ラテンアメリカなどから2万人を超える留学生を受け入れ、国際交流に貢献した。 愛知県八名郡能登瀬村(現・新城市能登瀬)に生まれる。父親は帝国議会議員を1期務めた鈴木麟三。弟に日本社会党衆議院議員の穂積七郎がいる。幼くして1904年6月27日に父を亡くし、母とともに生家を追われる。旧制愛知県豊橋中学校を経て、旧制第七高等学校造士館を1926年に卒業し、同年東京帝国大学に進学。 1925年(大正14年)、上杉慎吉を中心とする思想団体「帝大七生社」が結成され、穂積は同団体において会員の育成にあたった。
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