平野 信助(ひらの しんすけ、1891年〈明治24年〉5月19日 - 1965年〈昭和40年〉12月12日)は、将棋棋士。贈七段。大崎熊雄門下。青森県出身。日本将棋連盟の創設時(創設当時は東京将棋連盟)の参加棋士20人のうちの一人。 1891年(明治24年)青森市大町生まれ。青森中学卒業後、第一高等学校の三部を受験し不合格となり、第二高等学校に進学、医学を志すも18歳の時に初期の肺結核となり進学を断念し高校中退。 青森帰郷後に杉野岩太郎(当時二段)と知り合い、杉野を目標に棋力を付ける。平野の棋力を認めた杉野の勧めで上京し、1918年(大正7年)4月に井上義雄の内弟子となり、付け出し四段となる。同じころ、将棋同盟社に入会。
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