藤井 立志(ふじい たつし、1898年〈明治31年〉2月15日 - 1983年〈昭和58年〉)は、日本の実業家。日本電力を経て富山軽銀社長となる。その後、自身の会社が武蔵野化学研究所へ買収され同社の取締役となり、協和発酵(現:協和キリン)の設立時従業員となり、後に同社の専務取締役となった。岡山県矢掛町出身。 1898年(明治31年)岡山県小田郡小田村(現:矢掛町)の河上寅三郎の次男として生れる。幼くして、岡山県上房郡川面村の藤井浅之助の養子となる。その後、地元の旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学する。1916年(大正5年)同校を卒業し、旧制第六高等学校理科甲類へ進学する。 1919年(大正8年)六校を卒業し、九州帝国大学工学部へ進学する。
出典:ウィキペディア「藤井立志」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
