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上塚周平

うえつか しゅうへい
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上塚 周平(うえつか しゅうへい、1876年(明治9年)7月12日 - 1935年(昭和10年)7月6日)は、日本のブラジル移民功労者。「ブラジル移民の父」と称される。 熊本県下益城郡赤見村(現・熊本市南区城南町赤見)の上塚家の本家(ほんいえ)に生まれる。済々黌高等学校、旧制第五高等学校(現・熊本大学)を経て、1907年(明治40年)3月に東京帝国大学法科を卒業する。 同年11月、皇国殖民会社の社長を務める水野龍がブラジルサンパウロ州農務局と日本移民輸送契約を調印。翌年の1908年(明治41年)、代議士の江藤哲蔵の推薦により周平はブラジル行第1回移民の輸送監督兼会社代理人として170家族・792人を率いて移民船・笠戸丸に乗船、4月28日に神戸港を出航する。

出典:ウィキペディア「上塚周平」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋

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