財津 守(ざいつ まもる、1938年5月10日 - 1990年1月14日)は、大分県出身の元プロ野球選手(外野手)。左投左打。 日田高校では左腕エース梅野慶志を擁し、1955年秋季九州大会で準決勝まで進むが、鹿児島玉龍高の五代友和に完封を喫する。翌年夏も県予選で敗れ甲子園には出場できなかった。 卒業後は日鉄二瀬に入社し、濃人渉監督の指導を受ける。1957年から4年連続で都市対抗に出場。1958年の都市対抗では井洋雄、田中喜八郎(東洋高圧大牟田から補強)らの好投もあって決勝に進出するが、日本石油の伊藤正敏に完封され準優勝にとどまる。このときのチームメートにはプロで同僚となる江藤愼一がいた。 1961年に中日ドラゴンズへ入団。
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