スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
平川 侑季(ひらかわ ゆき、1991年6月24日 - )は、… 平川 侑季(ひらかわ ゆき、1991年6月24日 - )は、元福岡放送(FBS)のアナウンサー。現在は大阪府にある、セイ所属。 大分県日田市出身。TBSテレビアナウンサーの江藤愛は中学校、高等学校の先輩である。西南学院大学を卒業後、2014年にアナウンサーとしてOBSに入社。2018年に福岡放送へ移籍した。なお、同局では平川と同じくJNN・JRN系列局の在籍経験者に豊原慎二 (元北海道放送) と須田健太郎 (元北陸放送) がいる。
木下 美咲(きのした みさき、1990年7月26日 - )は… 木下 美咲(きのした みさき、1990年7月26日 - )は、日本の女優。
安元 佳奈(やすもと かな、1987年2月1日 - )は、大… 安元 佳奈(やすもと かな、1987年2月1日 - )は、大分放送(OBS)の元アナウンサーである。 大分県日田市出身。大分県立日田高等学校、西南学院大学文学部[要出典]卒業後、2009年にアナウンサーとして舘原美幸、久長美奈子と共にOBSに入社。 高校では放送部に所属し[要出典]、2004年の第51回NHK杯全国高校放送コンテスト・決勝で入選。大学では、所属していたサークルでイベントのMCなどを務めた。[要出典] 2012年5月27日に、“水郷ひた”観光親善大使に就任した。同じく日田出身で“水郷ひた”観光親善大使を務めるTBSアナウンサーの江藤愛は高校の先輩。 2018年3月末でOBSを退社。
緒方 実央(おがた みお、1986年9月6日 - )は、大分… 緒方 実央(おがた みお、1986年9月6日 - )は、大分県日田市出身 のサッカー審判員(国際副審)。 夫もJリーグなどで審判員(副審)を務める緒方孝浩。 大分県立日田高等学校ではボート競技に打ち込み、全国高校総体では2年連続準優勝。大分大学進学時に知人の勧めで九州総合スポーツカレッジでサッカーを始める。2008年に地元大分で開催された第63回国民体育大会(チャレンジ!大分国体)の要請があって審判を始め、2008年に2級審判員を、2013年に女子1級審判員の資格を取得し、日本女子サッカーリーグ(なでしこリーグ)の主審を務めた。 一方、私生活では大学卒業後に中津市職員となり、同じようにサッカー審判員を務めている臼杵市職員の緒方孝浩と2012年に結婚、2015年には一女をもうける。
林 真奈美(はやし まなみ、1985年12月30日 - )は… 林 真奈美(はやし まなみ、1985年12月30日 - )は、大分県日田市出身の女子競輪選手。日本競輪選手会福岡支部所属、ホームバンクは久留米競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第110期生。師匠は藤田剣次(85期)。 大分県立日田高等学校出身。高校生のときに兄の影響でボート競技(現ローイング競技)を始め、高校3年時には国体で優勝。高校卒業後はデンソーに所属し実業団選手として全日本選手権で6度の優勝、2012年世界選手権にも出場を果たした。27歳のときにボート競技から引退、地元に帰っていたときにガールズケイリンの存在を知り興味を持ち、恩師や家族からの勧めもあって競輪選手を志したという。 2014年12月24日、競輪学校第110回技能試験に合格。
江藤 愛(えとう あい、1985年11月14日 - )は、T… 江藤 愛(えとう あい、1985年11月14日 - )は、TBSテレビの管理職アナウンサー。 いずれも、TBSテレビが制作する全国ネット番組。 以下はいずれも、ナレーションに専念している番組。
岡野 涼子(おかの りょうこ、1978年 - )は、日本の地… 岡野 涼子(おかの りょうこ、1978年 - )は、日本の地方政治家。大分県議会議員で、自由民主党所属。 大分県日田市出身。大分県立日田高等学校を経て、共立女子大学を卒業した。大学卒業後、大分放送に入社し、テレビ制作部に配属。朝の情報番組「かぼすタイム」にレポーターとして出演した。水郷ひた観光親善大使を務めた。 結婚を機に退職後、キャリアコンサルタントを取得し、大分大学COC+推進機構に勤務した。 一般社団法人NINAU(2018年)や株式会社ENTO(2019年)を設立した。 2023年4月の大分県議会議員選挙に、日田市の選挙区から無所属で立候補して当選した。
桑野 智一(くわの ともかず、1977年9月29日 - )は… 桑野 智一(くわの ともかず、1977年9月29日 - )は、大分県出身の元Jリーグ・アビスパ福岡所属のサッカー選手。ポジションはDF。 プロサッカー選手を目指し、アマチュア契約選手として2000年にアビスパ福岡にてサテライトリーグに出場。アビスパ在籍中に、ノーザン・スピリット(オーストラリアリーグ)でプロテストを受けているが、契約には至っていない。同時期、同チームにニコラ・ベルティ(元イタリア代表)が移籍している。
古城 隆利(こじょう たかとし、1969年6月3日 - )は… 古城 隆利(こじょう たかとし、1969年6月3日 - )は、大分県日田市出身の元アマチュア野球選手(外野手)、野球指導者。 日田高校卒業後に日本体育大学に進学して硬式野球部に所属した。日体大には一般入試で入学し、1学年に約100人もいた部員の中からレギュラーの地位を勝ち取った。3年秋には明治神宮大会に出場。 大学卒業後は、社会人野球のいすゞ自動車でプレーした。 その後はいすゞ自動車と日本体育大学でコーチを務め、2009年からは日本体育大学の監督に就任し、2017年の明治神宮野球大会ではチームを37年ぶり2度目の優勝に導いた。大学日本代表のコーチも歴任した。同大学のスポーツマネジメント学部の助教授も務めている。
村上 英之(むらかみ ひでゆき、1961年〈昭和36年〉3月… 村上 英之(むらかみ ひでゆき、1961年〈昭和36年〉3月14日 - )は、日本の銀行家。西日本フィナンシャルホールディングス社長兼西日本シティ銀行頭取を務める。 大分県日田市出身。大分県立日田高等学校を経て、1983年(昭和57年)3月に九州大学経済学部を卒業。同年4月に西日本相互銀行(西日本銀行を経て、現・西日本シティ銀行)に入行。 西日本シティ銀行博多駅東支店長、人事部長兼人材開発室長、執行役員人事部長兼人材開発室長、執行役員総合企画部長、常務執行役員総合企画部長、常務執行役員総合企画部担当、取締役常務執行役員を歴任。 2016年10月、西日本フィナンシャルホールディングス取締役執行役員。
魚返 一真(おがえり かずま、1955年12月23日 - )… 魚返 一真(おがえり かずま、1955年12月23日 - )は、日本の写真家。大分県出身。 大分県玖珠郡玖珠町生まれ。10歳の頃から父親所有のハーフサイズのオリンパス・ペンやペンタックスSPを借り、鉄道の撮影を開始。(宮原線、久大本線、豊後森機関庫など)鉄道を好きになったのは熱狂的な鉄道ファンだった兄(哲也)の影響だった。大分県美術展で複数入選。鉄道写真家西尾恵介氏との出会いを機にそれまで以上にSL撮影に熱中。暗室作業を始めたのは中学1年生の頃。大分県立日田高校理数科卒業後、中央大学理工学部に進学。[要出典] 大学中退後は音楽活動に専念。4人組のロックバンド、ムーンダンスを結成。ギター&ボーカルで参加。
竹島 和幸(たけしま かずゆき、1948年11月23日 - … 竹島 和幸(たけしま かずゆき、1948年11月23日 - )は、日本の実業家。前・西日本鉄道代表取締役会長。 大分県日田市出身。大分県立日田高等学校、慶應義塾大学商学部卒業。 西日本鉄道に入社後は、ビジネスホテル・チェーン西鉄インの全国展開、福岡市天神地区再開発、北九州市小倉北区の大型複合商業施設チャチャタウン小倉開発を行うなど、主に、本業の運輸部門ではなく、流通・都市開発部門を担当してきた。 2008年6月の株主総会で長尾亜夫に代わって代表取締役社長に就任し、西日本鉄道では初めての戦後生まれの社長となった。 2013年6月27日、会長に就任。2021年3月31日、退任。 福岡県交通安全協会会長。
伊藤 勝利(いとう かつとし、1943年7月15日 - )は… 伊藤 勝利(いとう かつとし、1943年7月15日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手。 日田高校から1962年に西鉄ライオンズへ入団。1966年に引退。
真屋 順子(まや じゅんこ、1942年1月8日 - )は日本… 真屋 順子(まや じゅんこ、1942年1月8日 - )は日本の女優。大分県日田市出身。特技は日舞。
原 好男(はら よしお、1940年3月14日 - )は、フラ… 原 好男(はら よしお、1940年3月14日 - )は、フランス文学者、立教大学名誉教授。18世紀フランス文学・思想が専門。 東京都生まれ。1958年に大分県立日田高等学校を卒業後、電気通信大学に入学するも退学し、1960年に東京大学文科2類に入学し、1964年に東京大学を卒業。1971年同大学院人文科学研究科仏文科博士課程単位取得退学、立教大学助教授、教授、2006年定年退職。
梅野 慶志(うめの ちかし、1939年3月18日 - )は、… 梅野 慶志(うめの ちかし、1939年3月18日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手(投手)。 日田高校では1955年秋季九州大会で準決勝まで進むが、鹿児島玉龍高の五代友和に完封を喫する。翌年夏も県予選で敗れ甲子園には出場できなかった。高校同期に外野手の財津守がいる。 1957年に毎日オリオンズへ入団。速球左腕投手として期待されるが、登板は1試合のみにとどまり、同年限りで退団。ドロップ、カーブを武器とした。
財津 守(ざいつ まもる、1938年5月10日 - 1990… 財津 守(ざいつ まもる、1938年5月10日 - 1990年1月14日)は、大分県出身の元プロ野球選手(外野手)。左投左打。 日田高校では左腕エース梅野慶志を擁し、1955年秋季九州大会で準決勝まで進むが、鹿児島玉龍高の五代友和に完封を喫する。翌年夏も県予選で敗れ甲子園には出場できなかった。 卒業後は日鉄二瀬に入社し、濃人渉監督の指導を受ける。1957年から4年連続で都市対抗に出場。1958年の都市対抗では井洋雄、田中喜八郎(東洋高圧大牟田から補強)らの好投もあって決勝に進出するが、日本石油の伊藤正敏に完封され準優勝にとどまる。このときのチームメートにはプロで同僚となる江藤愼一がいた。 1961年に中日ドラゴンズへ入団。
畑 正憲(はた まさのり、1935年〈昭和10年〉4月17日… 畑 正憲(はた まさのり、1935年〈昭和10年〉4月17日 - 2023年〈令和5年〉4月5日)は、日本の小説家、エッセイスト、ナチュラリスト、動物研究家、プロ雀士。 愛称は「ムツゴロウさん」。日本エッセイスト・クラブ賞(1968年第16回)、菊池寛賞(1977年第25回)受賞、日本プロ麻雀連盟最高顧問であり初代十段位(畑が強すぎたため畑を位付けするために創設された)、最高位戦創案者。 畑は1935年(昭和10年)福岡県福岡市で生まれ、東京大学理学部で動物学を学んだ後、株式会社学研に入社して教育用の科学映画の作成に関わる。その後、動物関連のエッセーなどで作家としてデビュー。あだ名であるムツゴロウを冠したシリーズや小説を著した。
広瀬道貞(ひろせ みちさだ、1934年11月12日 - )は… 広瀬道貞(ひろせ みちさだ、1934年11月12日 - )は、大分県出身の株式会社テレビ朝日顧問。第13代日本民間放送連盟(民放連)会長(2006年~2012年)。
溝口 薫平(みぞぐち くんぺい、1933年 - )は、大分県… 溝口 薫平(みぞぐち くんぺい、1933年 - )は、大分県由布市の由布院温泉で旅館由布院玉の湯を経営する実業家。株式会社玉の湯代表取締役会長。大分県豊の国づくり塾運営委員長、湯布院商工会長、財団法人人材育成ゆふいん財団理事長。 1966年に妻の実家であった由布院玉の湯の経営に参加。 1970年7月にゴルフ場建設計画が持ち上がると、『由布院の自然を守る会』を結成して反対運動を行い、ゴルフ場建設を阻止。1971年には、亀の井別荘の中谷健太郎らとともに50日間にわたりヨーロッパ各地の観光地や温泉保養地を私費で視察してまちづくりを学んだ。 1975年4月21日の大分県中部地震により、実際には被害が小さかった由布院温泉が風評被害を受け、観光客が低迷すると、ゆふいん音楽祭、湯布院映画祭、牛喰い絶叫大会等のイベントを企画するとともに、由布院のまちづくりに貢献し、由布院温泉を国内有数の温泉地に育てた。
岩澤 重夫(いわさわ しげお、1927年 <昭和2年> 11… 岩澤 重夫(いわさわ しげお、1927年 <昭和2年> 11月25日 - 2009年 <平成21年> 11月7日)は、日本の画家、日本芸術院会員、文化功労者。位階は正四位。旭日重光章。 大分県日田市出身。京都府京都市に在住していた。大分県立日田中学校、京都市立美術専門学校卒。 1927年に現在の大分県日田市豆田町に生まれる。幼少の頃は、学校に行く前に魚釣りのに行くほど川が大好きな少年だった。晩年水辺に緑の山や季節の花を描いた小品を制作したが、それは全て魚釣りをするときの視点に基づいている。14歳の時に真珠湾攻撃が勃発、父親の勧めで17歳にして自ら入隊を志願。終戦までの1年5ヶ月の間に滋賀県で訓練を受けた後、盛岡、福生、万世、横田と日本各地を転々と移動。
荒木 和成 は、昭和期の日本の弁護士、政治家。千葉市長を2期… 荒木 和成 は、昭和期の日本の弁護士、政治家。千葉市長を2期務めた。位階は正四位。勲二等瑞宝章。
武内 俊明(たけうち としあき)は、大分県日田市出身の写真家… 武内 俊明(たけうち としあき)は、大分県日田市出身の写真家。日本広告写真家協会(APA)会員 1953年10月22日、九州地方大分県日田市に生まれる。高瀬小学校を経て、大分県立日田高等学校を卒業。デザインを目指し上京、1浪した後に映像に目覚め、写真を志し日本大学芸術学部写真学科に入学。 在学中よりAPA副会長だった写真家の玉井瑞夫のスタジオにアシスタントとして在籍、その後ファッションカメラマン松村誠のアシスタントとして活動。写真の現場で修行したので学校に行けず、1978年に大学を中退し、単身オーストラリアに渡る。一年間オーストラリアを北から南に2,000km以上移動しながら撮影活動に専念し、オーストラリアのアート雑誌POLに紹介される。