中野 悌治(なかの ていじ、1864年12月29日(元治元年12月1日) - 1938年(昭和13年)5月5日)は、日本の衆議院議員(立憲同志会→憲政会)。弁護士。 中野正義の二男として、出羽国鶴岡城下二百人町(現在の山形県鶴岡市)に生まれる。鶴岡変則中学(現在の山形県立鶴岡南高等学校)を卒業後、1884年(明治17年)から3年間小学校の訓導を務めた後、上京して、1890年(明治23年)に東京法学院(現在の中央大学)を卒業した。同年、代言人試験を受けて合格。1891年(明治24年)7月、鶴岡町に事務所を開いた。その後、鶴岡町会議員、同市会議員、山形県会議員、同参事会員に選出された。ほか、水利組合会議員、所得税調査委員などを務めた。
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