スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
大和田 立(おおわだ たつる、1992年1月14日 - )は… 大和田 立(おおわだ たつる、1992年1月14日 - )は、ジャパンラグビーリーグワンNECグリーンロケッツ東葛に所属するラグビーユニオン選手。 ラグビーは高校から始めた。 2010年、美幌高校卒業後、帝京大学に入る。 2014年、帝京大学卒業後、NECグリーンロケッツ(現・NECグリーンロケッツ東葛)に加入。同年9月6日に行われたジャパンラグビートップリーグ第3節の宗像サニックスブルース戦に先発出場で公式戦初出場を果たす。
木村 章司(きむら しょうじ、1977年7月20日 - )は… 木村 章司(きむら しょうじ、1977年7月20日 - )は、日本のプロボクサー。元日本スーパーバンタム級王者(2度獲得)。花形ボクシングジム所属。 北海道網走郡美幌町出身。網走支庁初のボクシング興行を行った選手。 萩野崇初主演の映画「HERO?天使に逢えば…」に出演している。鴨居駅近くの飲食店「章舞」の店長等を経て、現在は空調設備会社勤務。 マイク・タイソンに憧れ、美幌北中学の頃から帯広市のボクシングジムに通うようになる。北海道美幌高等学校卒業後、札幌市の北海道ボクシングジムに短期間在籍の後、横浜市の花形ボクシングジムに移籍。 1997年10月3日、横浜文化体育館で花形ジム所属選手としてプロデビュー。
走 裕介(はしり ゆうすけ、1973年12月7日 - )は、… 走 裕介(はしり ゆうすけ、1973年12月7日 - )は、北海道網走市出身の演歌歌手である。本名は眞野 裕之(まの ひろゆき)。血液型はA型。所属レコード会社は日本コロムビア。実家は農家であり、演歌歌手になる前は農業を経験したこともある。 北海道美幌農業高校(現:美幌高校)卒業。音楽に興味を持っていたことからバンド活動などに携わり、1997年にNHK-BS2『日本縦断カラオケ道場』へ出演し、その後、地元のカラオケ大会などに参加する。この時、作曲家の船村徹にデモテープを送ることを勧められ、実際に送ったところ船村からスカウトされ、1999年に船村の元へ弟子入りすることになった。弟子入りには家族から反対の声もあり、走本人や関係者が説得したという。
鈴木 牛後(すずき ぎゅうご、1961年8月30日 - ) … 鈴木 牛後(すずき ぎゅうご、1961年8月30日 - ) は、俳人。北海道小樽市生まれ。
八巻 正治(やまき まさはる、1950年4月25日 - )は… 八巻 正治(やまき まさはる、1950年4月25日 - )は、日本の牧師、社会福祉学者。尚絅学院大学名誉教授、「ラブリー・チャペル」元牧師、元篤志面接委員、クリスチャン・ソーシャルワーカー。北海道網走郡美幌町出身。 尚絅学院大学での担当科目は社会的養護、児童養護、社会福祉、相談援助であった。 前任校の弘前学院大学では障害者福祉論が担当科目であった。 順天堂大学卒業後、東京都立光明養護学校教諭を経て四国学院大学、梅花女子大学、西南女学院大学、大分大学、弘前学院大学、尚絅学院大学教授を歴任。博士(教育学)・博士(宗教学)。 重い知的障害を有する義弟を養育し、義弟について大学の授業や講演等で積極的に発言し、その生活の記録を妻・益恵との共著『君は麦畑の風の中を―さわやか福祉へのまなざし』にまとめた。
岩田 公雄(いわた きみお、1949年6月3日 - )は、日… 岩田 公雄(いわた きみお、1949年6月3日 - )は、日本のジャーナリスト、学校法人学習院フェロー。 かつては讀賣テレビ放送報道局特別解説委員(元解説委員長)、元同局アナウンサー。大阪大学人間科学部、立命館大学産業社会学部非常勤講師、21世紀臨調運営委員(民間政治)、学習院大学法学部特別客員教授、BS11「報道ライブ インサイドOUT」メインキャスターを務めた。 北海道旭川市生まれ。1974年学習院大学法学部卒業後、読売テレビにアナウンサーとして入社。報道記者に転身後、グリコ・森永事件や日本航空123便墜落事故など国内の数々の重要事件・事故を担当。その後1986年10月タイ航空機爆発事件取材でマニラに派遣され、その後三井物産マニラ支店長誘拐事件を取材、それがきっかけで1987年にNNNマニラ初代支局長となる。
島田 琢郎(しまだ たくろう、1926年8月28日 - 20… 島田 琢郎(しまだ たくろう、1926年8月28日 - 2006年10月9日)は、日本の政治家(元日本社会党衆議院議員)。北海道出身。 1944年美幌農林学校(現・北海道美幌高等学校)林業科卒業。北海道湧別町議会議員を経て、1972年の第33回衆議院議員総選挙に旧北海道5区から社会党公認で立候補し初当選。連続当選5回。酪農業を営んだ経験から農政に明るく、党の農林政策委員長などを務めた。1986年の第38回衆議院議員総選挙で落選し、政界から引退。 1998年4月の春の叙勲で勲二等に叙され、瑞宝章を受章する。 2006年10月9日、急性心筋梗塞のため北海道遠軽町の病院で死去。80歳没。死没日付をもって従四位に叙された。