スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
米村 恒輝(よねむら こうき、2000年2月22日 - )は… 米村 恒輝(よねむら こうき、2000年2月22日 - )は、日本の男子バレーボール選手である。 北海道富良野市出身。幼馴染に新設されたバレーボール部に誘われて中学1年生からバレーボールを始める。 東海大学付属札幌高等学校、東海大学湘南キャンパスを経て、2021-22シーズン、V.LEAGUE DIVISION2 MEN(V2男子)に所属するサフィルヴァ北海道(現・北海道イエロースターズ)の内定選手となった。内定選手としてV2男子の試合に出場し、Vリーグデビューを果たした。 2022年、大学卒業後に、サフィルヴァ北海道に入団した。 2023年、サフィルヴァ北海道のチーム名が北海道イエロースターズの変更となり、2023-24シーズンも同チームと契約を結んだ。
外崎 航平(とのざき こうへい、1997年6月28日 - )… 外崎 航平(とのざき こうへい、1997年6月28日 - )は、日本の男子バレーボール選手である。 北海道旭川市出身。姉2人の影響で小学2年生からバレーボールを始める。 東海大学付属第四高等学校(現・東海大学付属札幌高等学校)、東海大学を経て、2019-20シーズン、V.LEAGUE DIVISION2 MEN(V2男子)に所属するヴィアティン三重の内定選手となった。 2020年、大学卒業後に、ヴィアティン三重に入団した。入団1シーズン目となる2020-21シーズンにV2男子の試合に出場し、Vリーグデビューを果たした。 2022年、地元のチームであるヴォレアス北海道よりオファーがあり、同年7月に開催された第72回中部日本6人制バレーボール総合男女決勝大会終了後、同チームに移籍した。
戸田 拓也(とだ たくや、1996年10月25日 - )は、… 戸田 拓也(とだ たくや、1996年10月25日 - )は、日本の男子バレーボール選手である。 北海道札幌市出身。兄の影響で小学4年生からバレーボールを始める。 東海大学付属札幌高等学校、東海大学札幌キャンパスを経て、2018-19シーズン、V.LEAGUE DIVISION3 MEN(V3男子)に所属するヴォレアス北海道の内定選手となった。内定選手としてV3男子の試合に出場し、Vリーグデビューを果たした。 2019年、大学卒業後に、ヴォレアス北海道に入団した。同年、チームはV2昇格となり、2019-20シーズン、V2男子の試合に出場し、V2デビューを果たした。チームは2023年にV1昇格を果たした。
柳町 逸太(やなぎまち はやた、1996年6月17日 - )… 柳町 逸太(やなぎまち はやた、1996年6月17日 - )は、日本の男子プロバレーボール選手である。 北海道岩見沢市出身。9歳のときに兄弟の影響でバレーボールを始める。 東海大学付属札幌高等学校から東海大学札幌キャンパスに進学。2017年にはヴォレアス北海道の前身のアイ・ディー・エフの選手として第7回全国6人制リーグ総合優勝大会に出場した。 2018年、V.LEAGUE DIVISION1(V1)に所属するFC東京の内定選手となった。 2019年、大学卒業後に、FC東京に入団。入団1シーズン目となる2019-20シーズン、V1リーグ戦デビューを果たした。 2022年6月、FC東京のチーム譲渡により誕生したプロクラブ・東京グレートベアーズに全体移籍。
塚崎 祐平(つかざき ゆうへい、1986年7月11日 - )… 塚崎 祐平(つかざき ゆうへい、1986年7月11日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 北海道恵庭市出身。東海大学付属第四高等学校時代、2004年高校3年時に春高バレーでベスト4入り。同年に全日本ジュニアに選ばれている。 高校を卒業後、2005年に東海大学へ進学する。同期生に清水邦広。1年時から試合に出て、全日本インカレでは2005年から3年連続で決勝進出し2006年には優勝に輝く。2008年4年時には清水が全日本選出のため不在の中、チームリーダーとして活躍した。 2009年2月からJTサンダーズに加入した。同期入団に國近公太。2010年には全日本登録メンバーに選ばれた。 2018/19シーズンをもってJTを退団。
五十嵐 元(いがらし げん、1982年12月12日 - )は… 五十嵐 元(いがらし げん、1982年12月12日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、バレーボール指導者、体育学者。 北海道苫小牧市出身。東海大四高校を卒業後、順天堂大学へ進学。大学卒業後の2005年に豊田合成トレフェルサ(現・ウルフドッグス名古屋)へ入団した。 2009年に豊田合成を退団し、大分三好ヴァイセアドラーへ移籍した。2012年5月の黒鷲旗大会をもって勇退。同年10月、つくばユナイテッドSun GAIAに移籍。 つくばでの選手生活を送りながら、2014年からは筑波大学大学院人間総合科学研究科に在籍。同時期に在籍していた人物に吉井理人がいる。 2015/16シーズン終了後、現役を引退した。
加賀 龍哉(かが たつや、1982年8月19日 - )は、日… 加賀 龍哉(かが たつや、1982年8月19日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。VプレミアリーグのFC東京に所属していた。 北海道余市郡余市町出身。小学校時代、余市沢町小学校野球少年団のエースとして活躍し、全道大会に出場。中学校時代も野球部に所属しエースだった。中学3年で加賀のセンスを見抜いた野球部主将の薦めにより急遽バレー部へ入部、北海道選抜に選ばれた。 その後、東海大四高校を経て、早稲田大学を卒業後の2005年にFC東京へ入団。2007-2008年VチャレンジリーグのFC東京の優勝に貢献し、ブロック賞を初受賞した。 2010年、全日本代表登録メンバーに初選出された。2013/14シーズンをもって退部。
中西 了将(なかにし りょうすけ、1982年5月7日 - )… 中西 了将(なかにし りょうすけ、1982年5月7日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。 北海道帯広市出身。東海大四高校を卒業後、法政大学へ進学。2004年の第16回アジア太平洋カップ登録メンバーに選出され、優勝を経験した。 大学卒業後の2005年4月にNECブルーロケッツに入団。練習中に半月板損傷のアクシデントに見舞われ、入団1年目は膝の手術によりVリーグ出場を果たせなかった。 2009年5月、NECの無期限活動停止による廃部に伴い、現役引退し社業に専念。Vリーグでは在籍4年で通算4セットの出場に留まった。 社業の営業職で多忙な日々を過ごし、同年10月に当時V・チャレンジリーグの東京ヴェルディに選手登録したが、試合出場がないまま2011年に登録抹消となった。
山田 晃豊(やまだ あきのり、1976年2月20日 - )は… 山田 晃豊(やまだ あきのり、1976年2月20日 - )は、バレーボール指導者。北海道江別市出身。2018年までV・プレミアリーグのNECレッドロケッツ監督を務めた。 東海大四高校、東海大学を経る。全日本インカレにて優勝1回経験している。 1998年にNECレッドロケッツのコーチに就任。2001年に全日本女子のコーチに就任。2003年にNECのコーチに復帰する。2004年に、日本オリンピック委員会のスポーツ指導者海外研修員として、イタリアのナショナルチームやセリエAを中心に視察、コーチングの研修。1年後もNECのコーチを継続し、2008年5月に吉川正博の退任を受け、監督に昇格。 2018年6月、NECは山田の監督勇退を発表した。
成田 貴志(なりた たかし、1969年10月6日 - )は、… 成田 貴志(なりた たかし、1969年10月6日 - )は、日本の元男子バレーボール選手(全日本代表)。身長185cm、体重75kg。北海道登別市出身。ポジションはセッター。 現在、熊本県・鎮西高校女子バレー部の監督を務めている。また、2020年よりアルテミス北海道のGMを務める。
南 由紀夫(みなみ ゆきお、1969年4月3日 - )は、日… 南 由紀夫(みなみ ゆきお、1969年4月3日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、現指導者。 北海道出身。東海大四高校時代、成田貴志・清水克彦らと共に春の高校バレーで2年連続決勝進出、1987年の第18回大会では同校史上初めての優勝を果たす。 1992年、富士フイルムに入社。身長は190センチに満たずセンタープレーヤーとしては小柄であったが、サウスポーから繰り出される速攻を武器に活躍。高校時代から一緒にプレーしてきたセッター・成田貴志との多彩なコンビネーションも、外国人選手を採用せずに戦う富士フイルムにとって大きな武器となった。2001年、現役を引退し、社業に専念。引退後は社業の傍らでバレーボール教室等の普及活動にも努めている。
山田 修司(やまだ しゅうじ、1956年6月2日 - )は、… 山田 修司(やまだ しゅうじ、1956年6月2日 - )は、日本のバレーボール選手・監督。元全日本。 北海道札幌市出身。東海大四高では3年時にインターハイと国体で優勝。 1975年に富士フイルムに加入し、入団1年目からレギュラーに抜擢された。1984~88年の富士フイルムの日本リーグ5連覇には、選手・主将として大きく貢献、杉本公雄・ 御嶽和也・蘇武幸志・三橋栄三郎らとともに黄金時代を築き上げた。 1979年以来全日本メンバーとしても活躍し、1981年のワールドカップでは敢闘賞を受賞。1984年のロサンゼルスオリンピックでも、主将としてチームを牽引した。 1987年に現役を引退。その後1992年に富士フイルムの監督に就任し、同年の日本リーグで優勝。