スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
若林 楽人(わかばやし がくと、1998年4月13日 - )… 若林 楽人(わかばやし がくと、1998年4月13日 - )は、北海道白老郡白老町出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。 5歳で野球を始め、白老町立緑丘小学校1年次に緑丘ファイターズに入る。6年生の時にはファイターズジュニアでもプレーした。白老町立白老中学校野球部3年次には全日本少年軟式野球大会でベスト16を経験している。 駒澤大学附属苫小牧高等学校では1年秋からベンチ入り、3年次から三塁手のレギュラーだった。2年春に全道大会で準優勝したが、甲子園出場経験はない。1学年上には伊藤大海がいる(ドラフトでは同期にあたる)。 駒澤大学に進学すると、1年春からベンチ入りし、2年生からはレギュラーとして活躍。
伊藤 大海(いとう ひろみ、1997年8月31日 - )は、… 伊藤 大海(いとう ひろみ、1997年8月31日 - )は、北海道茅部郡鹿部町出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。 名前の正確な表記は旧字体を使用した「大海」。 祖父と父がタコ箱漁師の家系に長男として生まれる。父は同郷の元プロ野球選手・盛田幸妃と同級生であり、幼少期には盛田から直接指導を受けたこともある。 小学校では鹿部クラップーズに、中学校では函館東シニアに所属した。 中学卒業後は駒澤大学附属苫小牧高等学校に入学し、2年春に第86回選抜高等学校野球大会へ出場。初戦の創成館高等学校戦で完封勝利を挙げた。1学年下には若林楽人がいた。 その後は駒澤大学に進学し硬式野球部へ入部したが、「4年間プレーするビジョンを描けなかった」として1年時の10月に中途退学。
伊藤 優希(いとう ゆうき、1996年8月31日 - )は、… 伊藤 優希(いとう ゆうき、1996年8月31日 - )は、北海道苫小牧市出身の元プロ野球選手(外野手)。 苫小牧市立苫小牧東中学校時代には硬式野球の苫小牧クラブに所属。中学3年時には第14回 IBAF 16U 世界選手権の日本代表に選出された。 進学した駒澤大学附属苫小牧高等学校では2014年春の選抜大会に出場。2試合で7打数4安打、3盗塁とチームを牽引した。また、U18日本代表の1次候補にも選出された。 高校卒業後は東都大学野球所属の亜細亜大学に進学し、1年春より公式戦に出場した。 大学卒業後は地元の社会人野球チームの北海道ガスに入社。しかし、度重なるけがで目立った活躍ができず、社会人2年目は、突発的な吐き気や激しいめまいなどが頻発し、日常生活もままならない状況に陥り、1か月で体重が10kgも落ちたこともあった。
大累 進(おおるい すすむ、1990年8月31日 - )は、… 大累 進(おおるい すすむ、1990年8月31日 - )は、北海道出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。改姓したため、現在の本名は北山進。 小学校3年で野球を始め、中学時代は札幌新琴似シニアで三塁手としてプレー。駒澤大学附属苫小牧高校入学後に遊撃手に転向。2学年上に田中将大がいたが、自身は甲子園出場経験無し。1年夏(第88回選手権大会、引き分け再試合の末に準優勝)、2年夏(第89回選手権大会、1回戦敗退)はベンチ外。2年秋からベンチ入りするも、3年夏は南北海道大会の準々決勝で鍵谷陽平擁する北海高校に0-9で敗れた。 道都大学(札幌学生野球連盟所属)では1年時の春から公式戦に出場。3年時には、春・秋連続で遊撃手でベストナインに選出された。
田中 将大(たなか まさひろ、1988年〈昭和63年〉11月… 田中 将大(たなか まさひろ、1988年〈昭和63年〉11月1日 - )は、兵庫県伊丹市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。 投手として東北楽天ゴールデンイーグルスでは1度のリーグ優勝、1度の日本シリーズ優勝に貢献。ニューヨーク・ヤンキースでは1度の地区優勝に貢献している。個人ではNPBで合計16個のタイトル(7個)・主要表彰(9個)を獲得している。 野球(プロスポーツ部門)の連続勝利(34)のギネス世界記録保持者。2013年にNPB史上4人目のシーズン勝率10割を達成している。2021年開催の東京オリンピック野球金メダリスト。2025年には日米通算200勝を達成した。 2014年から2020年まではMLBでのプレーに伴い活動拠点を北米に移し、現地の代理人はエクセル・スポーツ・マネージメント社となっていた。
鷲谷 修也(わしや なおや、1988年10月3日 - )は、… 鷲谷 修也(わしや なおや、1988年10月3日 - )は、北海道登別市出身の元プロ野球選手(外野手)、元陸上競技選手(短距離走)、車椅子ソフトボール選手。 小学3年生の時に野球を始める。登別西陵中時代はリトルシニアチームでプレーし、3年時に北海道大会で準優勝。複数の強豪校から勧誘を受けたが、見学した時の雰囲気が気に入ったという駒大苫小牧高に特待生として入学。田中将大と同期となる。 1年夏までは「落ちこぼれ組」だったが、香田誉士史監督のアドバイスで打撃が向上し秋の明治神宮野球大会で初めてベンチ入りする。2005年の第87回全国高等学校野球選手権大会に出場、優勝メンバーとなる。翌2006年春には不振となり一時ベンチ入りメンバーからも外れたが、夏の南北海道大会では2打席連続本塁打、第88回全国高等学校野球選手権大会にはレギュラーとして出場し3回戦の青森山田高戦でも本塁打を放つ。
本間 篤史(ほんま あつし、1988年8月3日 - )は、北… 本間 篤史(ほんま あつし、1988年8月3日 - )は、北海道余市郡余市町出身の社会人野球選手(外野手)、野球指導者。右投右打。 余市町立沢町小学校4年時から野球を始める。余市町立西中学校では余市シニアに所属。 高校は道内でも強豪の駒澤大学附属苫小牧高校に進学。同級生には田中将大がいた。高校時代は前年の夏の優勝校でありながら2年生で4番として2005年夏の甲子園大会で甲子園夏連覇。新チーム結成当初は田中が主将を務めていたが、「(田中)将大が、主将としての取材、投手としての取材の両方を受けるのは疲れが溜まる」という監督の香田誉士史の配慮から、73年ぶりの夏の大会3連覇に挑んだ大会直前に田中から主将を引き継いだ。
佐々木 孝介(ささき こうすけ、1987年1月10日 - )… 佐々木 孝介(ささき こうすけ、1987年1月10日 - )は、北海道余市郡余市町出身の元アマチュア野球選手・現アマチュア野球指導者。 駒澤大学附属苫小牧高等学校では1年生時の秋から内野手のレギュラーとなり、2年生時の春に第75回選抜高等学校野球大会、夏に第85回全国高等学校野球選手権大会に出場。3年生時の夏に主将として、第86回全国高等学校野球選手権大会で北海道勢初となる優勝を果たす。自身も決勝戦で7回の勝ち越し二塁打を含む3安打を記録するなど、同大会打率.429(21打数9安打)を記録。 高校卒業後は駒澤大学へ進学し、3年生時から学生コーチに転身。大学卒業後は駒澤大学附属苫小牧高等学校のコーチを経て、2009年7月31日に駒澤大学附属苫小牧高等学校の監督への就任が同校から発表された。
加藤 謙如(かとう のりゆき、1976年7月29日 - )は… 加藤 謙如(かとう のりゆき、1976年7月29日 - )は、北海道苫小牧市出身の元プロ野球選手(外野手)。 1994年に駒澤大学附属苫小牧高等学校では3年夏の地区代表決定戦で延長12回の末に敗れて南北海道大会には出場できなかった。横浜ベイスターズにドラフト6位で入団。同校初のプロ野球選手となったが、一軍出場が無いまま、2000年に戦力外通告を受け現役を引退。 2002年からは社会人野球のクラブチーム・オール苫小牧で現役復帰。2005年からはトランシス・マーリンズの外野手コーチを務めていた。 2019年時点では「苫小牧西リトルシニア球団」のコーチを務めている。 長男と甥が高校野球の選手として活躍したことが日刊スポーツに取り上げられている。