スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
古谷 拓哉(ふるや たくや、1981年7月14日 - )は、… 古谷 拓哉(ふるや たくや、1981年7月14日 - )は、北海道北見市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 元福岡ソフトバンクホークスの古谷優人は「はとこ甥」(父親のいとこの孫)にあたる。 駒澤大学附属岩見沢高校時代は、第80回全国高等学校野球選手権大会(当時は南北海道代表)と翌年春の第71回選抜高等学校野球大会にエースとして出場。3年時の夏は、南北海道大会決勝で北海高と対戦するも自身の暴投により0-1でサヨナラ負けを喫した。 高校在学中は学業も優秀で、枠が一つしかない指定校推薦で駒澤大学に進学。当時はカウンセラーになることを目指し、心理学を専攻した。入学後、野球部には入部しなかった。上記の暴投のショックで入部しなかったと周囲には言われていたが、高校時代で野球への情熱が燃え尽きてしまったからであった。
オジョー(1981年6月14日 - )は、日本のお笑い芸人。… オジョー(1981年6月14日 - )は、日本のお笑い芸人。本名、高橋 文香(たかはし ふみか)。北海道岩見沢市出身・在住。駒澤大学附属岩見沢高等学校卒業。札幌吉本所属。東京NSC8期生、東京NSC俳優コース3期生。 東京NSC8期生、東京NSC俳優コース3期生。吉本新喜劇への憧れからNSCに入ったが、俳優コースはお笑いの授業がなかったためお笑いコースも受講するようになった。2003年にことみ(現在は石川ことみとしてピン芸人で活動)と「上海ドール」を結成。札幌吉本、東京吉本で活動。 2008年に当時の相方ことみの勧めで『TVチャンピオン』大食い選手権の北海道予選に出場して優勝。一家全員よく食べる家庭だったため、それまで自分が大食いであるという自覚がなかったという。
白水 直樹(しろず なおき、1979年2月5日 - )は、日… 白水 直樹(しろず なおき、1979年2月5日 - )は、日本のアスレティックトレーナー、プロ野球コーチ。鍼灸師、あん摩マッサージ指圧師。北海道出身。 プロバスケットボールチーム・サンロッカーズ渋谷と、プロ野球独立リーグチーム・茨城アストロプラネッツのパフォーマンスディレクターを務めている。 駒澤大学附属岩見沢高等学校では3年春に第68回選抜高等学校野球大会にレギュラーで出場。駒澤大学卒業。神奈川衛生学園専門学校卒業、鍼灸師・あん摩マッサージ指圧師資格を取得。 北海道日本ハムファイターズを経て、筑波大学大学院修了(体育学修士)。 ウイダートレーニングラボ・コーディネーター、筑波大学体育総合実験棟Sport Performance and Clinic Lab.アドバイザー、共栄大学男子サッカー部トレーニングアドバイザーを歴任。
稲田 勝(いなだ まさる、1978年11月2日 - )は、日… 稲田 勝(いなだ まさる、1978年11月2日 - )は、日本のスケルトン選手。北海道出身。駒澤大学附属岩見沢高等学校、仙台大学卒。 高校時代(駒大岩見沢高)は硬式野球部に所属。第68回選抜高等学校野球大会にも出場した(9番セカンドで出場。試合は高陽東高校に3対2で敗退した)。野球に限界を感じ、仙台大学2年時にスケルトンに転向した。 2002年ソルトレークシティオリンピックと2006年トリノオリンピックに2大会連続で越和宏とともに出場した。結果は両大会とも18位であった。 2005-2006年度全日本選手権で初優勝し、2006-2007年度スケルトンW杯長野大会において自己最高成績となる3位入賞を果たす。
佐藤 誠(さとう まこと、1975年6月12日 - )は、山… 佐藤 誠(さとう まこと、1975年6月12日 - )は、山形県東根市出身の元プロ野球選手(投手)、指導者。右投右打。2001年から2002年の登録名は誠。 北海道千歳市の小学生時代に学童軟式野球を始める。 駒大岩見沢高等学校では、1992年・1993年の2度、センバツに出場。1993年はチームをベスト4に導いたが、夏は南北海道大会2回戦で敗退した。その年のドラフト5位で読売ジャイアンツに入団した。背番号は69。 1997年に一軍初登板を果たしたがこの年を含め2000年までわずか5試合しか出番を得られなかった。だが、この時期に覚えたシュートが、後に活躍のきっかけとなる。 2000年は2試合の登板に終わり、オフに無償トレードで福岡ダイエーホークスに移籍。
本間 満(ほんま みつる、1972年8月25日 - )は、北… 本間 満(ほんま みつる、1972年8月25日 - )は、北海道留萌市出身のプロ野球選手(内野手・右投左打)、野球指導者。愛称はママン(本間満)。 大村巌(元ロッテ:稚内市出身)、宇佐美康広(元ヤクルト:歌登町出身)が引退して以降の日本プロ野球(以下:NPB)現役選手としては、五十嵐亮太(現ヤクルト)らとともに最北の出身であった。 プロ入り後に左打ちに変えて成功した珍しい例である[要出典]。 留萌小学校(萌友ドラゴンズ)時代は三塁手・投手、留萌港南中で強打の三塁手として注目を集め、北海、札幌商(現北海学園札幌)、東海大四高などとの争奪戦の末、駒大岩見沢高校に進学。同級生に伊藤辰史、3年後輩に佐藤誠がいる(佐藤は山形県生まれ北海道千歳市育ち)。
伊藤 辰史(いとう たつふみ、1972年4月21日 - )は… 伊藤 辰史(いとう たつふみ、1972年4月21日 - )は、日本のプロボクサー。北海道三笠市出身。新日本木村ボクシングジム所属。元日本スーパーウェルター級王者。 駒澤大学附属岩見沢高等学校1年生でボクシング部員になる(同級生で野球部中心選手に本間満)。3年でインターハイ、国体に出場するも上位に入れず。道都大学3年、全日本アマチュアボクシング選手権大会準決勝で中央大学の天田広美(天田ヒロミ)に3RTKOで敗れ、中退し木村ジムの所属プロボクサーとなる。 1994年5月9日(フジテレビ/ダイヤモンドグローブ)、ミドル級で、日本タイトル経験者の大竹永寿(グリーンツダ)を3RTKOで退け、デビュー戦を飾る。
東 輝(ひがし あきら、1972年1月7日 - )は、日本空… 東 輝(ひがし あきら、1972年1月7日 - )は、日本空調サービス所属の元スキージャンプ選手(監督兼任)。2003年世界選手権ジャンプ団体銀メダリスト。北海道後志支庁仁木町出身。駒澤大学附属岩見沢高等学校卒業。 1989年、高校生ながら世界選手権代表に選出され、注目を集める。 元々笠谷幸生と同じニッカウヰスキー所属だったが、1999年にスキー部が廃部となったため、後述の兄二人が所属した日本空調サービスに移籍した。 20年近くにわたって日本のトップ選手として活躍していたにもかかわらず、オリンピックに出場できないまま引退した悲運の選手として知られる。世界選手権出場4回、1997年ワールドカップ最終戦(フライング)優勝などの実績を誇りながら、なぜか五輪シーズンになると調子を崩し、出場の可能性が十分あった6回の五輪(アルベールビルオリンピック、リレハンメルオリンピック、長野オリンピック、ソルトレークシティオリンピック、トリノオリンピック、バンクーバーオリンピック)をすべて逃している。
岡部 孝信(おかべ たかのぶ、1970年10月26日 - )… 岡部 孝信(おかべ たかのぶ、1970年10月26日 - )は、日本の元スキージャンプ選手で、現在は指導者である。駒大岩見沢高校から北海道拓殖銀行を経て、雪印メグミルクスキー部に所属する。 北海道上川郡下川町出身、下川町町民栄誉賞受賞者。 1995年サンダーベイ世界選手権個人ノーマルヒル、1998年長野オリンピック団体の両金メダリスト。 高校時代は後輩の東輝や葛西紀明の陰に隠れる存在で、北海道拓殖銀行入社後の1993年に日本代表入り。 翌年のリレハンメルオリンピックではラージヒル団体で銀メダルを獲得。団体ではドイツのイェンス・バイスフロクに次いで全選手で二番目の合計得点を記録した。 翌1995年には世界選手権サンダーベイ大会でノーマルヒルチャンピオンとなる。
佐藤 晃(さとう あきら、1964年7月19日 - )は、北… 佐藤 晃(さとう あきら、1964年7月19日 - )は、北海道京極町出身の元スキージャンプ選手。 駒澤大学附属岩見沢高等学校卒業後、東京美装興業に所属した。 1988年のカルガリーオリンピックの日本代表に選ばれて田尾克史、田中信一、長岡勝と共に団体出場したが11ヶ国中11位に終わった。個人では70m級で11位、90m級では38位となり日本勢4人の中で最も上位だった。また、1985年ノルディックスキー世界選手権の団体では渡瀬弥太郎, 西方千春, 秋元正博と共に6位となった。スキージャンプ・ワールドカップで10位以内に入ったことはわずか1回であるがその1回は1987年1月24日札幌大会での優勝である。
嶋 宏大(しま ひろお、1963年5月10日 - )は、日本… 嶋 宏大(しま ひろお、1963年5月10日 - )は、日本のノルディックスキージャンプの元選手。 北海道下川町出身。駒大岩見沢高校-地崎工業 20歳で1984年サラエボオリンピック代表に選ばれる。1987年1月18日のSTV杯では大倉山ジャンプ競技場の当時のバッケンレコードとなる120.0メートルを記録。翌週に行われたワールドカップでも70m級で3位、90m級で6位と活躍した。
会沢 仁康(あいざわ ひろやす、1961年3月1日 - )は… 会沢 仁康(あいざわ ひろやす、1961年3月1日 - )は、北海道出身の元スキージャンプ選手。レークプラシッドオリンピックの代表選手であった。駒大岩見沢高校 - 専修大学出身。 スキージャンプ・ワールドカップでの最高位は1979年12月の13位。また同年のジュニア世界選手権銅メダルを獲得している。1980年に行われたレークプラシッドオリンピックに八木弘和、秋元正博、川端隆普美と共に出場した。
渡瀬 弥太郎(わたせ やたろう、1960年〈昭和35年〉10… 渡瀬 弥太郎(わたせ やたろう、1960年〈昭和35年〉10月10日 - )は、北海道留萌市出身のノルディックスキージャンプの元日本代表選手、スキージャンプ日本代表女子チームの監督、神戸クリニック女子ジャンプチーム監督。駒大岩見沢高校時代は、会沢仁康そして田中信一と共に駒沢三羽トリオと呼ばれ、当時指導にあたっていた北海道岩見沢地区で若手ジャンパーを育成していた真所勝昭などにさらに才能を磨かれ、日本のジャンプ界を代表する選手となる。1990年代中盤ころよりスキージャンプの技術的な変化、用具の変化、そしてV字型の空中フォームの導入などにより長身のジャンパーが圧倒的に有利になったが、渡瀬が活躍していた1980年代は必ずしも長身選手有利という時代ではなく、小柄な渡瀬も数々の優秀な成績を残している。
田中 信一(たなか しんいち、1959年5月15日 - )は… 田中 信一(たなか しんいち、1959年5月15日 - )は、日本の元スキージャンプ選手。北海道出身。 駒大岩見沢高校 - 日本大学 - 北海道拓殖銀行。 駒大岩見沢高校では会沢仁康、渡瀬弥太郎の一年先輩だが彼らほどの成績は上げられなかった。20台後半に入って成績が伸び始めて日本代表に選ばれるようになった。 1987年ノルディックスキー世界選手権では70m級57位、90m級55位、団体戦16位であった。1988年のカルガリーオリンピックに28歳で出場し、70m級52位、90m級47位、団体戦11位の成績を残した。 現役引退後はたくぎんスキー部の監督や日本代表スキージャンプのコーチを務めた。
佐々木 啓司(ささき けいじ、1956年2月7日 - )は、… 佐々木 啓司(ささき けいじ、1956年2月7日 - )は、北海道美唄市出身の元アマチュア野球選手・現アマチュア野球指導者。
藤原 広昭(ふじわら ひろあき、1952年〈昭和27年〉1月… 藤原 広昭(ふじわら ひろあき、1952年〈昭和27年〉1月10日 - )は、日本の政治家。札幌市議会議員(8期)。 総務委員会委員・冬季オリンピック・パラリンピック招致調査特別委員会委員。 家族は妻、娘が一人、息子が二人いる。身長174cm、体重75kg、血液型はB型。 立憲民主党東区支部代表。JR北労組議員団副団長。 本名は藤原 廣昭(読み同じ)。政治活動においては主に「ふじわら広昭」の名前で活動している。 1970年(昭和45年)3月、駒沢大学付属岩見沢高等学校卒業。 1970年(昭和45年)4月、国鉄に就職。滝川駅・滝川自動車営業所勤務。 1985年(昭和60年)、日本社会党所属の衆議院議員小林恒人の第一公設秘書となる。
岡本 素光(おかもと そこう、1898年10月8日 - 19… 岡本 素光(おかもと そこう、1898年10月8日 - 1978年8月22日)は、日本の宗教哲学者、仏教学者、博士(文学)。第6代駒澤大学総長。曹洞宗の僧侶。 鳥取県東伯郡出身。号は天室。1911年(明治44年)鳥取桂養寺の渡辺月俊について得度。1924年(大正14年)曹洞宗大学、1931年に駒澤大学仏教学科卒業。同年に駒澤大学の講師、1936年に新設の道憲寮寮監を兼務。1941年、駒澤大学教授に就任。1961年『大乗起信論における「存在」の研究』で博士号(文学、駒澤大学)を取得。 1964年駒澤大学北海道教養部初代部長・駒澤大学附属岩見沢高等学校初代校長。1965年岩見沢駒澤短期大学初代学長。
清水貞雄(しみず さだお)は、日本の元スキージャンプ選手。駒… 清水貞雄(しみず さだお)は、日本の元スキージャンプ選手。駒大岩見沢高校 - デサント。全日本スキー選手権大会で2度優勝、1989年ノルディックスキー世界選手権日本代表。