スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
中村 涼(なかむら りょう、2002年7月20日 - )は、… 中村 涼(なかむら りょう、2002年7月20日 - )は、岩手県出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダー(DF)。 Jリーグ・藤枝MYFC所属。 札幌大学3年の2023年7月に2025年からの藤枝MYFCへの加入を発表。2024年8月に2024年の藤枝MYFCの特別指定選手として選手登録された。 2025年3月9日の明治安田J2リーグヴァンフォーレ甲府戦でJリーグ初出場し、この試合の後半アディッショナルタイムでJリーグ初得点も記録した。
谷村 憲一(たにむら けんいち、1995年〈平成7年〉1月2… 谷村 憲一(たにむら けんいち、1995年〈平成7年〉1月26日 - )は、岩手県盛岡市出身のサッカー選手。ポジションは、ミッドフィールダー。 実弟はJリーグ・横浜F・マリノス所属のサッカー選手の谷村海那。 小学2年生の時に見前FCでサッカーを始める。グルージャ盛岡ジュニアユースを経て盛岡商業高校に入学。高校では入学直後からベンチ入りし、1年秋からレギュラーとして現ベガルタ仙台の藤村慶太とダブルボランチを組んだ。3年時には背番号10を背負い、同校の東北高校選手権優勝に貢献。 谷村がレギュラーを獲得した1年秋からモンテディオ山形スタッフがマークを始め、2012年5月に山形の練習に招待した際には奥野僚右監督を一目ぼれさせ、「ぜひ獲得してほしい」と言わしめた。
久保 海都(くぼ かいと、1993年11月5日 - )は、岩… 久保 海都(くぼ かいと、1993年11月5日 - )は、岩手県盛岡市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。 盛岡商業高校3年時に選手権に出場。その後は関東学院大学に進学した。 2016年に地元であるグルージャ盛岡に入団した。2018年シーズン終了後、現役引退を表明。
藤村 慶太(ふじむら けいた、1993年9月2日 - )は、… 藤村 慶太(ふじむら けいた、1993年9月2日 - )は、岩手県盛岡市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・鹿児島ユナイテッドFC所属。ポジションはミッドフィールダー(MF) 元プロ野球選手でNPB・広島東洋カープに在籍していた高橋樹也は従兄弟にあたる。 小学2年生の時にFC手代森でサッカーを始める。中学3年時には全日本ユースフットサル大会で準優勝。盛岡商業高校では1年時からレギュラーとして活躍。高校選手権県予選では1、2年時いずれも決勝戦のPK戦で失敗し、準優勝に終わる。3年時には主将を務める。選手権県予選決勝の遠野戦では後半19分のPKを決め、7-1で勝利。県決勝戦での最多得点・点差勝利記録を更新し、全国初優勝した5年前の85回大会以来の出場を決めた。
土井 秀徒(どい ひでと、1992年12月29日 - )は、… 土井 秀徒(どい ひでと、1992年12月29日 - )は、神奈川県横浜市出身のサッカー選手。ポジションはゴールキーパー(GK)。 盛岡商業高校から桐蔭横浜大学に進学。 2015年、横河武蔵野FCに入団。 2016年、グルージャ盛岡に完全移籍。しかし3月に都合により退団した。同年5月、東京23FCに加入。
林 勇介(はやし ゆうすけ、1990年1月23日 - )は、… 林 勇介(はやし ゆうすけ、1990年1月23日 - )は、岩手県盛岡市出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 岩手県立盛岡商業高等学校では1年生でレギュラーに定着し、2年の2006年には全国高校サッカー選手権で優勝し、優秀選手に選ばれている。翌2007年には日本高校選抜に選ばれ、全国高校サッカー選手権の岩手県大会決勝でも自らゴールを決めたが、遠野高校にPK戦の末敗れた。 2008年より浦和レッズに入団。この年は公式戦の出場、ベンチ入りは無かった。左サイドの攻撃的なポジションでのプレーを得意とするが、浦和在籍時にはボランチや左サイドバックとしてテストされたこともある。 2009年3月7日、開幕戦の対鹿島戦で初の公式戦ベンチ入り。
福士 徳文(ふくし のりふみ、1986年6月17日 - )は… 福士 徳文(ふくし のりふみ、1986年6月17日 - )は岩手県盛岡市出身の元サッカー選手。ポジションはFW。
山本 脩斗(やまもと しゅうと、1985年6月1日 - )は… 山本 脩斗(やまもと しゅうと、1985年6月1日 - )は、岩手県盛岡市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(左右のサイドバック)。元日本代表。 高校時代は岩手の盛岡商業高校で、2年生から背番号「10」を背負いレギュラーとして選手権に出場した。早稲田大学では、2006年に北京オリンピック日本代表候補にも選出されている。[要出典]2008年シーズンよりJリーグのジュビロ磐田に加入することが内定していたが、入団前のメディカルチェックにおいて、原発性左鎖骨下静脈血栓症(ページェット・シュレッター症候群)であることが判明。ジュビロと業務委託契約を締結し、完治後の正式契約を目指して治療に専念した。
松田 賢太(まつだ けんた、1984年8月22日 - )は、… 松田 賢太(まつだ けんた、1984年8月22日 - )は、岩手県大船渡市出身の元サッカー選手。ポジションは、MF。 盛岡商業高校3年時に、レギュラーとして第81回全国高等学校サッカー選手権大会に出場。八戸大学(現・八戸学院大学)を経て、2007年にグルージャ盛岡へ入団した。 2013年は主将として第37回全国地域サッカーリーグ決勝大会優勝及び2014年のJ3リーグ入会の原動力となった。 2016年はオーバートレーニング症候群を発症して戦線を離脱。同年をもって現役を引退。翌年からはグルージャのフロントスタッフとして強化・プロモーション担当やスクールコーチ、U-18コーチを歴任。2020年3月をもってグルージャを退団、同年4月からは盛岡市に発足したジュニアサッカースクール「FC AOBA」の監督を務めている。
根子 達也(ねこ たつや、1972年9月25日 - )は、岩… 根子 達也(ねこ たつや、1972年9月25日 - )は、岩手県花巻市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはDF、FW。 盛岡商業高等学校から東北電力サッカー部(現ベガルタ仙台)に入部。Jリーグ参入を目指し、ブランメル仙台となってからも中心選手として活躍した。ベガルタ仙台がジャパンフットボールリーグに在籍していた時代を支えた選手のひとりである。 1999年には横浜FCに移籍し、ブランメル仙台でチームメイトだったピエール・リトバルスキー監督の下でプレーした。2005年には地元の岩手に戻り、グルージャ盛岡に入団した。2006年からは母校の盛岡商業高等学校でコーチなどをしながら盛岡ゼブラに所属している。
千葉 恵二(ちば けいじ、1971年6月19日 - )は、岩… 千葉 恵二(ちば けいじ、1971年6月19日 - )は、岩手県出身の元プロサッカー選手。ポジションはGK。
平 聡(たいら さとし、1970年7月16日 - )は、岩手… 平 聡(たいら さとし、1970年7月16日 - )は、岩手県花巻市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはフォワード。 花巻中時代から注目を集め、東北の名将・斎藤重信の誘いで、盛岡商高に入学(当初は同県のライバル校・遠野高進学を希望していた)。 全国高校サッカー選手権では、1年生だった第65回で国見高(同大会準優勝)からゴールを奪うなど、早くからエース級の活躍をみせた。3年生のとき第67回でベスト8まで進出したが、準々決勝で藤田俊哉、三浦文丈、山田隆裕など後に日本代表となる選手たちをそろえた清水市立商高(同大会優勝、現静岡市立清水桜が丘高)に0-0と善戦したが、PK戦は1-3で敗退(最後にPKを外したのは平だった)。
藤原 寿徳(ふじわら ひさのり、1970年4月26日 - )… 藤原 寿徳(ふじわら ひさのり、1970年4月26日 - )は、岩手県出身のサッカー指導者である。 1995年、鹿島アントラーズのGKコーチに就任。ユースのGKコーチも兼任して、後にワールドカップ日本代表にも選出された曽ヶ端準などのプロ選手を輩出した。1998年から2008年まで日本サッカー協会のGK育成プロジェクトコーチとして若年層の指導にも当たっていた。 2009年、13年間コーチを務めた鹿島を退団し、京都サンガF.C.のGKコーチに就任。2010年、シーズン終盤に正GKの座を掴んだ守田達弥を育成した手腕を買われて慰留されるも、チームのJ2降格、監督交代に伴い退任した。 2011年、ロンドンオリンピックを目指すU-22日本代表のGKコーチに就任した。
吉田 暢(よしだ とおる、1965年5月17日 - )は、岩… 吉田 暢(よしだ とおる、1965年5月17日 - )は、岩手県紫波郡紫波町出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 現役時代はサイドバックとして古河電工/ジェフユナイテッド市原(現:ジェフユナイテッド市原・千葉)、ブランメル仙台(現:ベガルタ仙台)でプレーし、1997年に現役を引退。 1998年よりソニー仙台FCのコーチに就任。2001年からソニー仙台FCの監督に就任。2005年にJFA 公認S級コーチライセンスを取得。 2006年から2011年までグルージャ盛岡の監督を6年間務め、東北社会人サッカーリーグ1部で優勝4回、準優勝2回の成績を残した。2012年、グルージャ盛岡の育成・普及スタッフ代表統括に就任。
中村 司(なかむら つかさ、1965年 - )は、日本のサッ… 中村 司(なかむら つかさ、1965年 - )は、日本のサッカー選手、指導者。 1965年生まれ。岩手県岩手郡岩手町で生まれ育ち、沼宮内中学校から盛岡商業高校に進学して頭角を現し、日本ユース代表、第61回全国高校サッカー選手権大会で優秀選手に選出された。 高校卒業後、日立製作所サッカー部に入団したが、家庭の事情により引退し帰省した。 仕事の傍ら地元のサッカークラブや国体の選手として活躍し、現役引退後は2002年から2021年まで盛岡商業高校サッカー部のコーチを務めた。息子は藤枝順心高校監督の中村翔、娘はサンフレッチェ広島レジーナの中村楓。 2002年から2008年まで柏レイソル盛岡のコーチを務め、2009年にRENUOVENS OGASA FOOTBALLCLUBの代表となり指導にあたる。
瀬田 龍彦(せた たつひこ、1952年1月15日 - )は、… 瀬田 龍彦(せた たつひこ、1952年1月15日 - )は、岩手県盛岡市出身の元サッカー選手。ポジションはGK。瀬田貴仁、瀬田達弘はともに息子。 JSLでは日立製作所に所属し、通算164試合に出場。その間、JSL、天皇杯など数々の優勝に輝き、1972年、1976年のベストイレブンを獲得。現役終盤からはコーチも兼任していた。 日本代表としては1974年、1978年のワールドカップアジア予選に出場。モントリオールオリンピックアジア予選ではレギュラーとして全試合に出場した。 現在はテレビ中継解説者、サッカー指導員を務めている。1998年にS級コーチングライセンスを取得。2005年には沖縄県の国体女子成年チームの特別コーチを務めた。
瀬田 龍彦(せた たつひこ、1952年1月15日 - )は岩… 瀬田 龍彦(せた たつひこ、1952年1月15日 - )は岩手県盛岡市出身の元サッカー選手。ポジションはGK。ソニー仙台FC在籍の瀬田貴仁、横河武蔵野FC在籍の瀬田達弘はともに息子。
斎藤 重信(さいとう しげのぶ、1947年5月6日 - )は… 斎藤 重信(さいとう しげのぶ、1947年5月6日 - )は、岩手県盛岡市出身のサッカー指導者。岩手県立盛岡商業高校や岩手県立大船渡高校のサッカー部監督として、両校を全国の強豪校に育て上げ、多くの選手を指導した。第85回全国高等学校サッカー選手権大会の優勝監督。 1947年5月6日生まれ。岩手県盛岡市で生まれ育ち、盛岡市立厨川中学校から盛岡商業高校に進学する。この間、中学校時代は休み時間のサッカーに加わるくらいであったが、高校で先輩から「入れ」といわれたことがきっかけでサッカー部に入部し、新潟国体に出場した。 高校卒業後の1966年、順天堂大学に入学し、1年生の時から試合に出場した。大学の同期に、のちに流通経済大学付属柏高校などの監督を務める本田裕一郎がいる。