スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
吉田 輝星(よしだ こうせい、2001年1月12日 - )は… 吉田 輝星(よしだ こうせい、2001年1月12日 - )は、秋田県潟上市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。 潟上市立天王小学校3年から天王ヴィクトリーズで野球を始め、潟上市立天王中学校では軟式野球部に所属。 秋田県立金足農業高等学校に進学し、1年夏からベンチ入り。2年夏は県大会決勝で山口航輝、後にオリックス・バファローズでチームメイトとなる曽谷龍平擁する明桜高等学校に敗れて県準優勝。3年夏は主戦投手として力投し、秋田大会決勝では再び明桜と対戦。吉田が9回4安打11奪三振と快投を魅せ、2-0で勝利し県大会優勝。 吉田は秋田大会から夏の甲子園準決勝まで10試合連続完投勝利を挙げた。
石山 泰稚(いしやま たいち、1988年9月1日 - )は、… 石山 泰稚(いしやま たいち、1988年9月1日 - )は、秋田県秋田市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 旭北小4年生の時に野球を始めた。 金足農業高3年時の夏は秋田大会準々決勝で、後にプロでチームメイトとなる菊沢竜佑を擁する秋田高に0-2で敗退。甲子園出場経験はなし。 東北福祉大学に進学すると、仙台六大学野球連盟に加盟する野球部に入部する。1年秋から公式戦に登板する。2年時と3年時に全日本大学野球選手権大会、3年時に明治神宮野球大会に出場している。プロ志望届を提出したが指名漏れとなった。同期に阿部俊人がいる。 大学卒業後は、社会人野球のヤマハに入団。1年目から公式戦に出場。
佐々木 希(ささき のぞみ、1988年2月8日 - )は、日… 佐々木 希(ささき のぞみ、1988年2月8日 - )は、日本の女優、歌手、タレント、ファッションモデル。旧姓同じ。本名は渡部 希(わたべ のぞみ)。秋田県秋田市出身[4]。トップコート所属。夫はアンジャッシュの渡部建[6]。
三浦 隆司(みうら たかし、1984年5月14日 - )は、… 三浦 隆司(みうら たかし、1984年5月14日 - )は、日本の元プロボクサー。秋田県山本郡三種町出身。元WBC世界スーパーフェザー級王者。八竜中学校、金足農業高等学校卒業。帝拳ボクシングジム所属。入場曲はAC/DC「Back in Black」。横浜協栄で日本フェザー級王座を2度獲得した三政直は叔父にあたる。 アマチュアボクシングでは、高校時代の2002年によさこい高知国体で優勝するなど40戦34勝の実績を残した。その後、プロへ転向。2003年5月7日にはB級プロテストに合格し、当時の所属先横浜光ボクシングジムの会長関光徳から「サウスポーのファイター型で、パワーがすごく、まったくのプロ向き」と期待された。
伊藤 教人(いとう のりひと、1983年9月11日 - )は… 伊藤 教人(いとう のりひと、1983年9月11日 - )は、日本の俳優、スーツアクター。秋田県秋田市出身。秋田県立金足農業高等学校卒業。血液型AB型。身長173cm。 高校卒業後、美術短大を経てジャパンアクションエンタープライズに所属。スーツアクターとして活動する。その傍ら、同じJAEの同期の安田桃太郎と共に「劇団BRATS」を結成、並行して舞台活動も行う。 2011年5月10日にてJAEを脱退。フリーランスとして舞台を中心に活動中。
榎 洋之(えのき ひろゆき、1979年9月14日 - )は、… 榎 洋之(えのき ひろゆき、1979年9月14日 - )は、日本のプロボクサーである。秋田県秋田市手形山中町出身。1998年に角海老宝石ボクシングジム所属としてプロデビューし、2004年には日本フェザー級王者に、2006年にはOPBF東洋太平洋フェザー級王者になる。 14歳の頃、兄の影響でボクシングを始める。金足農業高校時代、1997年のなみはや国体では3位に入賞した。この時、内山高志との準決勝での判定に納得がいかず、皇族が観覧していた表彰式では客席の椅子を蹴り倒すなどして暴れ、退場した。このために進路内定を取り消され、アマチュア界から追放扱いされた。このことによってプロボクサーを志すようになる。
豪風 旭(たけかぜ あきら、1979年6月21日 - )は、… 豪風 旭(たけかぜ あきら、1979年6月21日 - )は、秋田県北秋田郡森吉町(現・北秋田市)出身で尾車部屋に所属した元大相撲力士。本名は成田 旭(なりた あきら)、愛称はアキラ。身長172cm、体重152kg、血液型はAB型。得意技は突き、押し、一本背負い。最高位は西関脇(2014年9月場所)。現在は年寄・押尾川。 秋田県県民栄誉章受章・北秋田市市民栄誉賞受章・北秋田市ふるさと大使。 小学生の時は相撲部に所属。森吉町立森吉中学校時代はただ勉強を教えるだけではなく生徒をきちんと把握した学校の先生に憧れており、この頃から教師を志していた。中学時代に務めた学級委員長としては朝礼の時間の小テストを提案し、生徒たちからブーイングを受けたと、後に2019年3月場所前の相撲誌の記事で明かしている。
鈴木 雄大(すずき たけひろ、1970年11月15日 - )… 鈴木 雄大(すずき たけひろ、1970年11月15日 - )は、日本の政治家。秋田県潟上市長(2期)。元秋田県議会議員(2期)。 秋田県南秋田郡天王町(現・潟上市)に生まれる。天王町立天王小学校、天王町立天王中学校を経て、秋田県立金足農業高等学校農業土木科に進学。1993年(平成5年)3月、中央大学法学部法律学科を卒業。同年4月、秋田県庁に入庁。 2014年(平成26年)12月、翌年(平成27年)の秋田県議会議員選挙への出馬意向を固め県庁を退職した。2015年(平成27年)、秋田県議会議員選挙に自由民主党公認で立候補し、初当選した。2019年(平成31年)、無投票で再選。 2021年(令和3年)3月28日告示、4月4日執行の潟上市長選挙に無所属で立候補し、無投票で初当選した。
佐川 潔(さがわ きよし、1970年5月19日 - )は、秋… 佐川 潔(さがわ きよし、1970年5月19日 - )は、秋田県秋田市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 金足農業高では2年秋の県大会ベスト4、3年春の県大会は準決勝で完封すると決勝は登板なく敗れたが東北大会は初戦に続いて準々決勝で先発完投したが惜敗。1988年のプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから3位指名を受け入団。 プロ1年目の1989年に、MLBのミネソタ・ツインズ傘下A級のバイセイリア・オークスに野球留学した。 1992年11月に、オリックス・ブルーウェーブにテスト入団にて移籍。1993年11月に、日本ハムファイターズに金銭トレード(テスト合格の後トレード成立)にて移籍。しかし、どの球団でも一軍登板のないまま、1995年10月に現役を引退した。
足利 豊(あしかが ゆたか、1968年10月15日 - )は… 足利 豊(あしかが ゆたか、1968年10月15日 - )は、秋田県秋田市河辺戸島出身の元プロ野球選手(投手)。 父も叔父も兄も野球経験者という環境に生まれ、幼少の頃から野球少年となった。ドカベンの山田太郎に憧れて捕手になりたかったが、戸島小学校3年生の時に入った野球部の監督によってアンダースローの投手となっている。4年生で早くも公式戦に登板し、5年生の時にはチームを県大会準優勝に導くなど、下手から浮き上がる直球を武器に頭角をあらわした。 県内の強豪校である金足農業高に進み、1年夏にチームは選手権大会に出場。他校のアンダースロー投手対策のため、打撃投手としてレギュラーに帯同している。2年生でエースとなったが、チームの打撃力が弱かった事もあり再び甲子園に進む事はなかった。
斉藤 満(さいとう みつる、1965年9月20日 - )は、… 斉藤 満(さいとう みつる、1965年9月20日 - )は、秋田県出身の元プロ野球選手(投手)。 金足農業高では3年夏に準決勝で能代商の近藤芳久に投げ勝ったが決勝で敗れた。1983年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムファイターズから5位指名を受け入団。 尚、県大会準優勝を経験した1学年下のメンバーは翌春、夏の甲子園初出場を遂げて夏はベスト4まで進出した。 一軍出場機会がないまま、1985年シーズン限りで現役を引退。
森田 実(もりた みのる、1963年1月30日 - )は、秋… 森田 実(もりた みのる、1963年1月30日 - )は、秋田県出身の元プロ野球選手(捕手)。 金足農業高では、小野和幸とバッテリーを組む。 高校卒業後、三井造船千葉に入社するが1年半で退社し、読売ジャイアンツの入団テストを受け合格。しかし、社会人野球に登録されたことのある選手で高卒の場合は3年間はプロ入りできない規定のため、入団には至らずに帰郷して建設会社で働く。 翌年も再びテストを受けて合格し、1983年オフにドラフト外で読売ジャイアンツに入団。しかし、一軍公式戦への出場がないまま1989年に退団。
小野 和幸(おの かずゆき、1962年8月19日 - )は、… 小野 和幸(おの かずゆき、1962年8月19日 - )は、秋田県秋田市金足出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督。 金足西小3年の時に野球を始め、北中から秋田県立金足農業高等学校に進み、1年秋からエースとなる。1979年秋季東北大会県予選決勝に進出、秋田商の高山郁夫と投げ合うが敗退、本大会には進めなかった。翌1980年の夏の甲子園県予選では、準決勝まで進むが能代高に敗れる。高校では同期の森田実(巨人)とバッテリーを組んだ。 複数球団が注目し、社会人野球への進路を決めていたなか同年ドラフト外で西武ライオンズへ入団。1年目に二軍で当時リーグ記録の15勝で最多勝、1983年にも受賞。1984年に最優秀防御率を獲得。
戸嶋 秀夫(としま ひでお、1954年8月11日 - 201… 戸嶋 秀夫(としま ひでお、1954年8月11日 - 2014年6月28日)は、日本の元ラグビー選手。 金足農業高校から日本大学を経て、当初は秋田市役所に加入したが、後に東芝府中に移籍。 1979年の対ケンブリッジ大学戦が、日本代表として初のキャップ試合。 戸嶋といえば現役時代は、即、タックルマンと形容されるほどの選手で、それを最も表すのが1984年度の全国社会人ラグビーフットボール大会(以下、全国社会人大会)準決勝の対新日鐵釜石(以下、釜石)戦。東芝府中の及川紳一が放ったハイパントを追っている最中に、釜石の谷藤尚之と金野年明の二人をまとめて一撃で倒し、その後のトライに繋げた。 その後、一旦は現役を退いたものの、1987年度の全国社会人大会開幕直前になって再び現役に復帰。
佐々木 幸男(ささき ゆきお、1942年9月30日 - )は… 佐々木 幸男(ささき ゆきお、1942年9月30日 - )は、秋田県出身の元プロ野球選手。 金足農業高校から電電東北を経て1962年に阪急ブレーブスへ入団。1968年に引退した。
開隆山 勘之亟(かいりゅうやま かんのじょう、本名:青木 勘… 開隆山 勘之亟(かいりゅうやま かんのじょう、本名:青木 勘之丞(あおき かんのじょう)、1939年8月28日 - 1986年9月10日)は、秋田県南秋田郡昭和町(現・潟上市)出身で、1960年代に活躍した大相撲力士。伊勢ヶ濱部屋(入門時は荒磯部屋)に所属していた。最高位は西関脇(1964年5月場所・1964年11月場所)。現役時代の体格は179cm、116kg。得意手は右四つ、寄り、上手捻り、首投げ。
佐藤 敬典(さとう たかのり、1936年7月25日 - )は… 佐藤 敬典(さとう たかのり、1936年7月25日 - )は、秋田県出身の元プロ野球選手。 金足農業高校から1955年に大阪タイガースへ入団。1957年に退団した。
長谷部 七郎(はせべ しちろう、1924年3月19日 - 1… 長谷部 七郎(はせべ しちろう、1924年3月19日 - 1976年10月5日)は、日本の政治家。日本社会党所属の衆議院議員(1期)。 秋田県出身。1941年秋田県立金足農業学校(現・秋田県立金足農業高等学校)卒。農林省秋田食糧事務所に入り、全食糧労組秋田支部委員長、1955年から秋田県議を4期務め、1969年の第32回衆議院議員総選挙において秋田2区から日本社会党公認で立候補して当選、1期務めた。1972年の第33回衆議院議員総選挙で落選した。1976年死去。