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菅野 大志(かんの だいし、1978年7月8日 - )は、日… 菅野 大志(かんの だいし、1978年7月8日 - )は、日本の政治家。山形県西村山郡西川町長(2期)。 山形県西村山郡西川町大字吉川出身。山形県立寒河江高等学校卒業後、早稲田大学人間科学部に進学。大学卒業後の2001年、財務省東北財務局にノンキャリア官僚として入局。2006年からは金融庁監督局銀行第一課、財務省東北財務局金融監督第一課、金融庁総合政策局地域課題解決支援チーム、金融庁監督局総務課地域課題解決支援室、内閣官房まち・ひと・しごと創生本部事務局、内閣官房デジタル田園都市国家構想実現会議事務局を務めた。 2022年4月17日投票の西川町長選挙に立候補。国会議員の野田聖子、若宮健嗣、鈴木憲和らの支援を受け、元山形県庁職員で元連合山形会長である大泉敏男との一騎打ちの選挙戦を制して初当選した。
森谷 俊雄(もりや としお、1954年7月4日 - )は、日… 森谷 俊雄(もりや としお、1954年7月4日 - )は、日本の政治家、地方公務員。山形県環境エネルギー部長や、モンテディオ山形代表取締役社長を経て、河北町長。 山形県西村山郡河北町出身。山形県立寒河江高等学校を経て、1978年東北大学法学部卒業、山形県入庁。2004年最上総合支庁企画振興課長。2006年人事課長。2009年総務部次長。2011年企画振興部長。2012年環境エネルギー部長。2015年公益財団法人山形県産業技術振興機構専務理事。 同年から株式会社モンテディオ山形代表取締役社長を務めたが、2018年にJ1リーグ昇格に向け後任を外部招請する意向を示して途中退任した。2019年吉村美栄子山形県知事の河北後援会などの推薦を受け、無投票で河北町長に当選した。
佐藤 誠六(さとう せいろく、1930年(昭和5年)11月2… 佐藤 誠六(さとう せいろく、1930年(昭和5年)11月29日 - 2018年(平成30年)10月27日)は、日本の政治家。元山形県寒河江市長(6期)。 山形県立寒河江高等学校卒業後、山形大学から山形県庁に入庁し、土木部副部長などを歴任した。 1984年(昭和59年)12月、市の指名業者からの賛助金集めが問題となり、寒河江市長の武田房雄が辞職。1985年(昭和60年)1月20日に行われた寒河江市長選挙に出馬し初当選した。 さくらんぼの産地としてブランド力の醸成を図り、「日本一さくらんぼの里」を内外に強くアピールし、1988年(昭和63年)さくらんぼの原産地のひとつトルコギレスン市と友好姉妹都市を締結した。
鈴木 貞敏(すずき ていびん / さだとし、1925年〈大正… 鈴木 貞敏(すずき ていびん / さだとし、1925年〈大正14年〉8月12日 - 2009年〈平成21年〉10月24日)は、日本の警察官僚、政治家。第11代警察庁長官、参議院議員(2期、自由民主党)。位階は従三位。勲等は勲二等。 山形県寒河江市生まれ。両親は昭和の頭に満州に渡り、地元にとどまる。 山形県立寒河江中学校(18期)を経て、東京帝国大学に進学するも数日で学徒出陣し、前橋陸軍予備士官学校に入学(砲兵第2中隊第4区隊)。1945年6月に卒業後、独立山砲第12連隊に配属され間もなく終戦を迎えた。 戦後復学し、1948年(昭和23年)東京大学法学部政治学科を卒業。 同年4月、国家地方警察に入る。
板垣 清一郎(いたがき せいいちろう、1915年9月7日 -… 板垣 清一郎(いたがき せいいちろう、1915年9月7日 - 1993年10月2日)は、日本の政治家。元山形県知事(5期、在任期間:1973年10月 - 1993年2月)。山形県西村山郡左沢町(現在の大江町)出身。栄典は従三位・勲一等・瑞宝章。 左沢町議を3期務めた板垣米作の長男として生まれる。祖父・井上金太郎は製糸工場を経営し、左沢町長も務めた地域の有力者であった。NHK解説主幹を務めた板垣信幸は従甥。県立寒河江中学校(現在の山形県立寒河江高等学校)を卒業後、1934年東京高等師範学校に入学するが、2年後に腹肋膜炎を患い中退する。 両羽銀行(現在の山形銀行)行員、繊維会社経営を経て、1947年に山形県議会議員に初当選。
松浦 東介(まつうら とうすけ、1907年(明治40年)4月… 松浦 東介(まつうら とうすけ、1907年(明治40年)4月18日 - 1964年(昭和39年)3月6日)は、日本の農業関係者、政治家。衆議院議員。 山形県東村山郡成生村(現在の天童市)大字大清水に生まれる。1926年、山形県立寒河江中学校を卒業。山形県会議員、同参事会員を務めた。1942年の翼賛選挙では山形1区(当時)から大政翼賛会の推薦を受けずに立候補したため落選した。 1946年4月、第22回衆議院議員総選挙で山形選挙区から出馬して当選。以後、23回、24回、25回、27回、29回、第30回総選挙で当選し、衆議院議員を通算7期務めた。 この間、日本自由党、民主自由党、自由党、日本民主党、自由民主党に所属。