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青山 大人(あおやま やまと、1979年〈昭和54年〉1月2… 青山 大人(あおやま やまと、1979年〈昭和54年〉1月24日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(3期)、立憲民主党青年局長、同副幹事長、茨城県議会議員(2期)を歴任。 茨城県土浦市真鍋新町出身。土浦市立土浦第三中学校、茨城県立土浦第一高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。 大学卒業後は、厚生大臣を務めた丹羽雄哉の議員秘書を経て、2006年12月10日に行われた茨城県議会議員選挙に立候補して初当選(就任は2007年1月8日)。2010年再選。民進党茨城県連副会長も務めた。 2014年の第47回衆議院議員総選挙に茨城6区から民主党公認で立候補したが、自由民主党現職の丹羽雄哉に敗れ、比例も次点に終わった。
五十嵐 立青(いがらし たつお、1978年(昭和53年)6月… 五十嵐 立青(いがらし たつお、1978年(昭和53年)6月12日 - )は、日本の政治家。茨城県つくば市長(3期)。元つくば市議会議員(2期)。 茨城県つくば市出身。茨城県立土浦第一高等学校卒業。筑波大学国際総合学類卒業、ロンドン大学UCL公共政策研究所修士課程修了、筑波大学大学院人文社会科学研究科修了。国際政治経済学の博士号をもつ。 筑波大学大学院在学中の2004年、つくば市議会議員選挙に出馬し初当選。2008年に再選。 2012年、つくば市長選挙に出馬するも落選。2016年、2度目の挑戦となる市長選で初当選を果たした。11月17日、市長就任。 2020年10月25日執行の市長選挙で2回目の当選を果たす。
石井 章(いしい あきら、1957年5月6日 - )は、日本… 石井 章(いしい あきら、1957年5月6日 - )は、日本の政治家。 参議院議員(2期)、衆議院議員(1期)、参議院消費者問題に関する特別委員長、旧藤代町議会議員(4期)、取手市議会議員(2期)、旧藤代町議会議長、日本維新の会国会議員団両院議員総会長などを歴任。 茨城県取手市出身。3人兄弟の次男として、龍ケ崎市内の母親の実家で誕生。取手市で育つ。 取手市立藤代中学校、茨城県立土浦第一高等学校(夜間)、専修大学法学部法律学科(夜間)卒業。 1990年、藤代町議会議員に初当選。 2005年、藤代町の取手市への編入にともない、取手市議会議員となる。 2009年8月、第45回衆議院議員総選挙に民主党から比例北関東ブロック単独31位で立候補し、初当選。
今泉 文彦(いまいずみ ふみひこ、1952年〈昭和27年〉1… 今泉 文彦(いまいずみ ふみひこ、1952年〈昭和27年〉10月3日 - )は、日本の政治家。元茨城県石岡市長(2期)。 茨城県石岡市出身。石岡市立石岡小学校、石岡市立石岡中学校、茨城県立土浦第一高等学校卒業。早稲田大学中退。大学在学中はワセダミステリクラブに所属した。1976年(昭和51年)6月、石岡市役所に入庁。 2009年(平成21年)9月、同市役所を退職。同年10月25日に行われた石岡市長選挙に出馬。いずれも新人同士(4名)の戦いであったが次点で落選。市長には元市議の久保田健一郎が当選した。 2010年(平成22年)4月から茨城大学客員研究員を務める。 2013年(平成25年)10月27日に行われた市長選挙に再出馬。
渡辺 孝男(わたなべ たかお、本名:渡邉 孝男、1950年2… 渡辺 孝男(わたなべ たかお、本名:渡邉 孝男、1950年2月1日 - )は、日本の医師、政治家。米沢市立病院事業管理者・元院長。 参議院議員(3期)、公明党政務調査会副会長、厚生労働副大臣(福田康夫改造内閣・麻生内閣)などを歴任した。
長南 博邦(おさなみ ひろくに、1948年1月 - )は、日… 長南 博邦(おさなみ ひろくに、1948年1月 - )は、日本の政治家。新社会党中央本部副委員長。元野田市議会議員(8期)。 1948年1月、茨城県水戸市生まれ。5歳の時に霞ヶ浦湖畔の阿見町に転居。茨城県立土浦第一高等学校を経て、1970年に茨城大学農学部を卒業。専門は生物化学で微生物の酵素を研究。学生時代はバスケットボール選手で中学生や高校生のコーチも務める。 1970年、キッコーマン関連の盛進製薬に入社し、流山工場に勤務。微生物の管理業務につく。1971年、盛進製薬労働組合執行委員に就任し、1973年から13年間同労組委員長を務めた。1993年に合併でキッコーマン社員となるが、引き続き公務休職で議員活動に専念した。
宮嶋 光昭(みやじま みつあき、1944年(昭和19年)9月… 宮嶋 光昭(みやじま みつあき、1944年(昭和19年)9月29日 - )は、日本の政治家。元茨城県かすみがうら市長(1期)。 茨城県立土浦第一高校を経て、学習院大学法学部政治学科卒業。出島村(霞ヶ浦町を経て、現在のかすみがうら市)で牧場を営み、茨城酪農農業協同組合理事となる。 1987年の出島村長選挙に立候補したが落選。1990年当時の村長の死去による村長選挙に立候補し初当選する。1994年に落選。同年の茨城県議会議員選挙に新進党から立候補したが落選した。 2010年のかすみがうら市長選挙に立候補した。市制施行以来初の選挙戦となり、現職の坪井透を破って当選した。2014年の市長選では再選を目指したが、前職の坪井透に敗れて落選した。
櫻井 富夫(さくらい とみお、1939年11月27日 - 2… 櫻井 富夫(さくらい とみお、1939年11月27日 - 2019年4月3日)は、自由民主党所属の元茨城県議会議員。茨城県議会議長、全国都道府県議長会副会長を歴任。元自民党茨城県連副会長。茨城県石岡市出身。学校法人常総学院理事長。特別養護老人ホーム「シルトピア」理事長。元鹿島学園理事長。茨城県立土浦第一高等学校卒業。早稲田大学法学部中退。旭日小綬章受章。 鹿島学園を経営していた1992年から1999年の時期に、不明朗な土地取得などにより巨額の負債を発生させ経営を圧迫したとして、鹿島学園の経営を引き継いだ、余湖三千雄(早慶外語ゼミ創業者)から背任で告訴された。後に敗訴が確定し、3億6000万円の支払いを命じられた。
狩野 明男(かのう あきお、1934年〈昭和9年〉10月2日… 狩野 明男(かのう あきお、1934年〈昭和9年〉10月2日 - 1992年〈平成4年〉2月26日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)。選挙に立候補するときは「かのう 明男」という表記だった。 1934年(昭和9年)10月3日、神奈川県三浦郡葉山町生まれ。茨城県新治郡志士庫村(後の出島村、霞ヶ浦町を経て現在のかすみがうら市)出身。 1941年(昭和16年)4月、志士庫村立宍倉国民学校入学。小学2年生のときに父がニューギニアの戦いで戦死し、母も6年生のとき死去、狩野他3人の兄弟は親戚で別々に育てられる。1947年(昭和22年)4月、荏原中学校入学。1950年(昭和25年)4月、茨城県立土浦第一高等学校入学。
倉田 弘(くらた ひろし、1930年〈昭和5年〉9月21日 … 倉田 弘(くらた ひろし、1930年〈昭和5年〉9月21日 - 2018年〈平成30年〉4月15日)は、昭和時代後期から平成時代の政治家。茨城県新治郡桜村長、つくば市長。 茨城県新治郡桜村栗原(現つくば市栗原)出身。1948年(昭和23年)茨城県立土浦中学校卒業。桜村助役を経て、1983年(昭和58年)桜村長に就任した。村長在任中は合併協議が難航する中で、6町村の合併を呼び掛け、協議をまとめ上げ、新市誕生に尽くした。1987年(昭和62年)11月30日、筑波郡谷田部町、大穂町、豊里町、新治郡桜村の3町1村が新設合併しつくば市が誕生。当初の市役所は旧第一圏民センター(現市民ホールやたべ)に置かれ、市長職務代理者には木村操旧谷田部町長が就任し、倉田は稲葉勝行旧大穂町長、野堀豊定旧豊里町長とともに副市長に就任した。
海老原 義彦(えびはら よしひこ、1928年(昭和3年)10… 海老原 義彦(えびはら よしひこ、1928年(昭和3年)10月7日 - )は、日本の官僚、政治家。元総理府次長。元参議院議員。日本会議代表委員。
池田 峯雄(いけだ みねお、1911年8月30日 - 199… 池田 峯雄(いけだ みねお、1911年8月30日 - 1998年12月3日)は、日本の農民運動家、政治家。衆議院議員(日本共産党公認、1期)を務めた。日本農民組合 (統一派)中央常任委員及び同常総同盟委員長などを歴任。 茨城県筑波郡作岡村安食(現在のつくば市安食)の小地主の家に生まれる。茨城県立下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)3年の時に、父の経営する会社が倒産し、新治郡土浦町(現在の土浦市)へ移住。同地の茨城県立土浦中学校(現在の茨城県立土浦第一高等学校)を卒業後、結城郡宗道村(現在の下妻市)で代用教員に就く。この間、土浦中学校同級生の小林孝祐を介して文化サークルに参加、加藤四海ら全日本農民組合連合会(全農)関係者と親交を深めた。
金塚 孝(かなつか たかし、1902年(明治35年)8月5日… 金塚 孝(かなつか たかし、1902年(明治35年)8月5日 - 1973年(昭和48年)10月20日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 茨城県新治郡真鍋町(土浦市大字真鍋を経て、現在は土浦市真鍋)で生まれる。1919年(大正8年)、茨城県立土浦中学校(現在の茨城県立土浦第一高等学校)を卒業した。 日神酒造社長、ニッシン興業社長、湖南通運専務取締役、アサヒ産業社長、土浦商工会議所会頭などを務めた。 1947年(昭和22年)、茨城県議会議員に当選。民主党に所属して同党茨城県支部総務に就任。1948年(昭和23年)に県議を辞職し、1949年(昭和24年)1月に実施された第24回衆議院議員総選挙で茨城県第3区に民主党公認で出馬して当選し、その後改進党に所属して衆議院議員に1期在任した。
小野瀬 忠兵衛(小野瀨忠兵衞、おのせ ちゅうべえ、1899年… 小野瀬 忠兵衛(小野瀨忠兵衞、おのせ ちゅうべえ、1899年(明治32年)8月21日 - 1977年(昭和52年)12月11日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(3期)。 茨城県新治郡九重村生まれ、同県河内郡龍ケ崎町出身。旧制土浦中学校(現茨城県立土浦第一高等学校)、慶應義塾大学部理財科を卒業後、興亜製作所社長、茨城県塩業株式会社取締役。 次いで茨城県肥料卸商業組合、竜ヶ崎地方生活必需品配給統制組合、同食料品配給統制組合、同食糧営団格理事長。1946年(昭和21年)の第22回衆議院議員総選挙に茨城全県区から出馬し当選。衆議院経済安定委員長となり、茨城県司法保護委員。日本進歩党院内総務、民主党民情部長、民主自由党会計監督を務める。
菊田 七平(きくた しちへい、1897年(明治30年)8月2… 菊田 七平(きくた しちへい、1897年(明治30年)8月20日 - 1976年(昭和51年)11月16日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。参議院議員(1期)、茨城県議会議長。 茨城県新治郡真鍋町殿里(現在の土浦市殿里)で、旧家・菊田広恵の長男として生まれる。1912年(大正元年)茨城県立土浦中学校(現在の茨城県立土浦第一高等学校)を卒業した。 土浦商工会議所会頭、湖南通運社長、環産業社長、高津油機社長、霞ケ浦食品工業社長、日神酒造社長、丸果生果社長、関東銀行(現在の筑波銀行)取締役会長などを務めた。その他、茨城県農業会長、同県蚕種協同組合長、同県観光連盟会長、新治郡真壁町農会長、同町産業組合専務理事などに在任した。
天谷 丑之助(あまがい うしのすけ、1888年〈明治21年〉… 天谷 丑之助(あまがい うしのすけ、1888年〈明治21年〉2月18日 - 1974年〈昭和49年〉7月15日)は、日本の政治家。茨城県土浦市長(3期)。位階は正五位。勲四等旭日小綬章。 茨城県出身。旧制土浦中学校(現・茨城県立土浦第一高等学校・附属中学校)を経て、1909年に早稲田大学商学部を卒業する。1919年に茨城県会議員となり、この間、1927年から真鍋町長も務めた。1931年10月に第36代茨城県会議長となる。1935年10月に議長を退任する。1936年の第19回衆議院議員総選挙では原脩次郎の後継者として茨城3区から立憲民政党公認で立候補したが落選した。 戦後の1947年、土浦市長選挙に立候補して当選した。
風見 章(かざみ あきら、1886年〈明治19年〉2月12日… 風見 章(かざみ あきら、1886年〈明治19年〉2月12日 - 1961年〈昭和36年〉12月20日)は、日本の政治家。位階は正三位。立憲民政党、国民同盟、日本社会党に所属し、衆議院議員を9期務めた。第1次近衛内閣で内閣書記官長、第2次近衛内閣で司法大臣を歴任。茨城県豊田郡水海道町(現在の常総市)出身。水海道市名誉市民。 茨城県豊田郡水海道町高野の農家に、二男三女の末子として生まれる。1898年、旧制土浦中学校(現在の茨城県立土浦第一高等学校)に入学(風見は入学者中最年少であり、周囲は年上ばかりだったという)。その後、家からの距離が遠かったため旧制下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)に転入する。