スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
沼田 和利(ぬまた かずとし、1976年9月26日 - )は… 沼田 和利(ぬまた かずとし、1976年9月26日 - )は日本の政治家。茨城県牛久市長(1期)。元茨城県議会議員(2期)。元牛久市議員(1期)。 茨城県牛久市出身。岡田小、牛久一中、取手二高、東海工業専門学校熱田校卒業後、給排水設備工事会社取締役を経て2011年に牛久市議会議員選挙に立候補し、当選(当時最年少)。 2014年、茨城県議会議員選挙に立候補したが、342票差届かず惜敗。 2016年、日本大学法学部政治経済学科卒業。 2018年、茨城県議会議員選挙に立候補し、トップ当選。2022年の茨城県議会議員選挙で再選。なお、沼田は自由民主党の党員であるものの、これまでの選挙は無所属で立候補していたが、この選挙では初めて自民党公認で立候補した。
吉田 剛(よしだ たかし、1966年11月28日 - )は、… 吉田 剛(よしだ たかし、1966年11月28日 - )は、茨城県北相馬郡藤代町(現在の取手市)出身の元プロ野球選手(内野手)、野球解説者、実業家。 精肉店を営む家庭に出生。茨城県立取手第二高等学校への在学中に、硬式野球部で木内幸男監督の指導を受けながら、2年時の1983年春に第55回選抜高等学校野球大会へ出場した。当時は捕手で、同期のエース・石田文樹とバッテリーを組んでいたが、1回戦で泉州高等学校に惜敗した。翌1984年には、第56回選抜高等学校野球大会には遊撃手として出場。準々決勝まで進出したものの、山口重幸を擁する岩倉高等学校の前に決勝進出を阻まれた。しかし、夏の第66回全国高等学校野球選手権大会では、KKコンビ(清原和博と桑田真澄)を擁するPL学園高等学校と決勝で対戦。
石田 文樹(いしだ ふみき、1966年〈昭和41年〉8月22… 石田 文樹(いしだ ふみき、1966年〈昭和41年〉8月22日 - 2008年〈平成20年〉7月15日)は、茨城県出身のプロ野球選手(投手)。 1994年から1998年までの登録名は「石田 大也」(読み方は「いしだ ともや」)。血液型はA型。 1966年(昭和41年)8月22日、茨城県新治郡新治村(現在の土浦市)で生まれる。小学3年の時に投手として野球を始める。それ以来、投手一筋でやってきた。 取手第二高では当時の監督であった木内幸男の指導の下、1年秋からエース投手になる。高校同期のチームメイトに捕手の吉田剛(のち遊撃手)がいた。甲子園に通算3回出場した。2年生の時の1983年春の第55回選抜では1回戦で泉州高に敗退した。
中島 彰一(なかじま しょういち、1966年7月1日 - )… 中島 彰一(なかじま しょういち、1966年7月1日 - )は、茨城県石岡市出身の元アマチュア野球選手(捕手)、野球指導者。 取手第二高校では捕手としてプレーし、高校3年生の時に1984年の夏の甲子園に出場し、決勝でPL学園の桑田真澄から決勝3ランを放ち、チームの全国制覇に貢献した。同年の高校日本代表の韓国遠征のメンバーにも選ばれた。 東洋大学では3年秋に優勝を経験、4年次は主将を務めるが秋の入替戦で敗れた。黒須隆の入学後は控えとなった。1学年先輩に山下徳人がいた。社会人野球の住友金属鹿島のチームで主将も務めた。 引退後はコーチを経て、2002年から2008年まで、2015年から再度、日本製鉄鹿島の監督を務めている。
松沼 雅之(まつぬま まさゆき、1956年7月24日 - )… 松沼 雅之(まつぬま まさゆき、1956年7月24日 - )は、東京都墨田区出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ。 現役時代は、西武ライオンズに在籍。兄は元西武投手の松沼博久。西武在籍当時、博久は「松沼兄」雅之は「松沼弟」と呼ばれていた。通称「オトマツ」「おとやん」。 4人兄弟の末弟(四男)(博久は三男)として生まれる。東京都墨田区から千葉県流山市に転居。高校は茨城県の取手二高に進学。エースとして1974年夏の県大会決勝に進む。土浦日大高の工藤一彦と投げ合うが1-3で惜敗、甲子園出場を逸した。 卒業後は博久と同じく東洋大学に進む。東都大学野球リーグでは1年上の達川光男とバッテリーを組み、1976年秋季リーグで8勝1敗の好成績をあげ、チームのリーグ初優勝に貢献した。
松沼 博久(まつぬま ひろひさ、1952年9月29日 - )… 松沼 博久(まつぬま ひろひさ、1952年9月29日 - )は、東京都墨田区出身の元プロ野球選手(投手)。野球解説者。日本プロ野球OBクラブ副理事長も務めている。 弟は、元西武投手の松沼雅之。西武在籍当時、博久は「松沼兄」雅之は「松沼弟」と呼ばれていた。通称「アニヤン」。 4人兄弟の三男。東京都墨田区から千葉県流山市に転居。中学校の野球部の先輩が進学していたこともあり、茨城県の取手二高に進学。1969年秋季関東大会県予選準々決勝に進むが、磯原高に敗退。 高校卒業後は東洋大学に入学。後に西武でチームメイトになる同期の市村則紀と、投手の二本柱として活躍した。しかし東都大学野球リーグでは駒大、中大に阻まれてリーグ初優勝には届かず、1973年秋季リーグから3季連続で2位に甘んじる(卒業後の1975年春の2位を含めると4季連続)。
折原 啓子(おりはら けいこ、本名:三上 芳子〔みかみ よし… 折原 啓子(おりはら けいこ、本名:三上 芳子〔みかみ よしこ〕、旧姓:折原、1925年〈大正14年〉1月1日 - 1985年〈昭和60年〉11月24日)は、日本の女優。映画プロデューサーの三上訓利は夫、元・プロ野球選手の篠塚和典は娘婿(篠塚の妻・嘉津子が実娘)、俳優の三上博史は甥、篠塚宜政は(折原の死去後に誕生した)孫である。 1925年、茨城県北相馬郡小文間村(現・取手市)生まれ。茨城県立取手高等女学校(現・茨城県立取手第二高等学校)卒業後にタイピストを経て見習い看護婦をしていたが、戦後まもない1945年に大映第1期ニューフェースに応募・合格し、翌1946年に『彼と彼女は行く』でデビュー。以後、『花咲く家族』など約60本に主演し、その美貌が多くのファンの心をとらえた。