スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
ブライアン・ジョセフ・バルザー(Bryan Joseph B… ブライアン・ジョセフ・バルザー(Bryan Joseph Balzer, 2004年10月27日 - )は、神奈川県横須賀市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。MLBのサンディエゴ・パドレス傘下所属。 日本メディアではバルザー・ブライアンの表記もみられる。 神奈川県横須賀市生まれ。父親が米国人、母親が日本人のハーフである。父親の仕事の都合で5歳から小学校3年生まで米国ニュージャージー州で過ごし、この間の小学1年時に現地で野球を始めた。 常総学院高等学校では当初内野手としてプレーしていたが、2年秋に監督の島田直也に強肩を見込まれ投手へ転向。3年夏時には練習試合で最速154km/hを計測しNPBやMLBのスカウトにも注目されていたが、度重なる故障もあり公式戦の登板は1イニングのみに留まった。
大川 慈英(おおかわ じぇい、2003年10月28日 - )… 大川 慈英(おおかわ じぇい、2003年10月28日 - )は、神奈川県平塚市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。 平塚市立なでしこ小学校時代は平塚リトルでプレーした。 平塚市立浜岳中学校在学時は硬式野球のクラブチームである湘南ボーイズでプレーした。 常総学院高等学校に進学し、2年秋から登板し、右腕・秋本璃空の2番手。3年春のセンバツ2回戦敗退。3年夏の茨城大会準優勝。 2025年10月23日に開催されたドラフト会議にて、北海道日本ハムファイターズから1位指名を受けた。
一條 力真(いちじょう りきま、2003年2月10日 - )… 一條 力真(いちじょう りきま、2003年2月10日 - )は、茨城県石岡市出身のプロ野球選手。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 幼稚園年長時に兄の影響で石岡オリオンズで野球を始め、内野手・外野手としてプレーした。この時について一條はのちに「厳しくて何度もやめたいと思ったことがある」と話した。厳しい監督に対し、泣きながら投げ続けたこともあるという。小学4年時に投手に転向した。石岡中学校時代は軟式野球部でプレーした。中学3年時に県選抜に選ばれ、Kボールの全国大会に出場した。高校は常総学院高校で、高校入学時の球速は130 km/h前後であった。高校入学後は、同学年で硬式の取手リトルシニア出身の菊地竜雅が先に台頭し、軟式野球部出身の一條は軟式と硬式の違いを感じた。
河井稀祐(かわい きすけ、2002年10月4日 - )は、東… 河井稀祐(かわい きすけ、2002年10月4日 - )は、東京都大田区出身の社会人野球選手。右投左打の外野手。 船橋市立法典小学校1年時に牡鹿台ディアーズで野球を始める。2010年8月1日より藤上ベアーズと合併し藤上ディアーズに所属することとなった。小学5年時に東京都大田区に転居する事となり大田区立東調布第一小学校へと転校し少年野球チームも調布大塚ファイターズへ移籍する事となった。最高成績は第34回高円宮賜杯全日本学童軟式野球大会東京都予選ベスト16であった。 中学時代は大田区立東調布中学校に進学し世田谷南ボーイズに所属した。在籍時の最高成績は日本少年野球春季全国大会ベスト8であった。同大会で2本の本塁打を放ち最多本塁打のタイトルも獲得している。
菊田 拡和(きくた ひろかず、2001年7月23日 - )は… 菊田 拡和(きくた ひろかず、2001年7月23日 - )は、茨城県土浦市出身の元プロ野球選手。右投右打。 土浦市立真鍋小学校1年時に牛久リトルで野球を始め、U-12日本代表に投手で選出されW杯に出場。土浦市立土浦第二中学校では取手ファイトクラブに所属し全国大会に出場。 常総学院高等学校では1年夏からベンチ入りし、2年夏の県大会は3番打者を務め準優勝。常総のバレンティンの異名で注目されるも、3年夏は県大会ベスト8で敗退し甲子園出場はなかった。高校通算本塁打は58本。 2019年10月17日に行われた2019年のプロ野球ドラフト会議において読売ジャイアンツから3巡目で指名され、契約金5000万円、年俸600万円で入団した(金額は推定)。
鈴木 昭汰(すずき しょうた、1998年9月7日 - )は、… 鈴木 昭汰(すずき しょうた、1998年9月7日 - )は、茨城県土浦市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。千葉ロッテマリーンズ所属。 土浦市立東小学校1年時から美浦ブレーブスで野球を始め、3年時からは永国東ジャイアンツでプレー。 土浦市立土浦第四中学校に進学し、土浦霞ケ浦ボーイズに所属。チームメイトかつ同級生に佐野如一がいた。全国大会で準優勝を果たし、U-15の日本代表入りした。 常総学院高校進学後は、1年秋からエースを務め、2年春の第87回選抜高等学校野球大会に出場。初戦の米子北戦で7回6安打無失点で勝利を収めると、続く今治西戦でも7回と1/3を1安打無失点で勝利し、ベスト8進出を果たした。
宇草 孔基(うぐさ こうき、1997年4月17日 - )は、… 宇草 孔基(うぐさ こうき、1997年4月17日 - )は、東京都墨田区出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。コトラーシュカ・プラハ(チェコ語版)所属 墨田区立向島中学校卒。墨田リトルリーグ、シニアを経て常総学院高等学校に入学。在学中の2015年には第87回選抜高等学校野球大会に出場し準々決勝に進出、2015 WBSC U-18ワールドカップに出場するU-18代表に選出された。法政大学進学後3年生の秋季にレギュラーとなり、4年生の春季にはベストナインに選出、第43回日米大学野球選手権大会にも選出されている。高校・大学の1年後輩に鈴木昭汰がいる。 2019年10月17日に行われたドラフト会議で広島東洋カープから2位指名を受け、11月19日に契約金8000万円、年俸1200万円(金額は推定)で入団に合意した。
内田 靖人(うちだ やすひと、1995年5月30日 - )は… 内田 靖人(うちだ やすひと、1995年5月30日 - )は、福島県いわき市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 小学校2年時に、常磐軟式野球スポーツ少年団で野球を始めた。中学生時代に所属していたいわき松風クラブでは、4番打者として、園部聡とともにクリーンアップを任されていた。 中学校卒業後に、茨城県の常総学院高校へ進学。捕手として硬式野球部へ入部したが、1年時の春からベンチ入りを果たすと、打撃を買われて対外試合に三塁手として出場することが多かった。2年時の夏に、「3番・三塁手」として第94回全国高等学校野球選手権大会に出場。桐光学園高校との2回戦で松井裕樹から2安打を放ったが、チームは松井から19三振を奪われた末に敗れた。
飯田 大祐(いいだ だいすけ、1990年9月19日 - )は… 飯田 大祐(いいだ だいすけ、1990年9月19日 - )は、茨城県稲敷郡阿見町出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打で、現役引退後の2021年からオリックス・バファローズのコーチを務めている。 茨城県稲敷郡阿見町に生まれる。阿見小学校1年生から野球を始め、小学5年生から捕手を務める。阿見町立阿見中学校では軟式野球部に所属。 常総学院高校では1年夏からベンチ入りし、3年連続で夏の甲子園に出場。第88回全国高等学校野球選手権大会では試合出場はなかった。その後、1年秋からレギュラーとして活躍。第89回全国高等学校野球選手権大会では1学年先輩のエース清原大貴とバッテリーを組み、初戦の京都外大西高校戦では9回1安打無失点に抑えていたが、延長では点の取り合いになり、延長12回で3-5で敗れた。
清原 大貴(きよはら だいき、1989年6月11日 - )は… 清原 大貴(きよはら だいき、1989年6月11日 - )は、茨城県龍ケ崎市出身の元プロ野球選手(投手)。 中学校時代の同級生にはフリークライマーの野口啓代がいる。 小学校3年時に竜ケ崎リトルで野球を始める。 中学生(竜ヶ崎シニア)時代には投手として関東シニア三羽烏と呼ばれるまで成長し、卒業後は2学年上の兄を追い常総学院高校へ進学。下級生の時は主に三塁手として主軸を打ち、2年春に投手に転向。同年夏に投手兼内野手として第88回全国高等学校野球選手権大会に出場し、初戦の対今治西戦で代打として安打を放ちリリーフとして好投するも敗北。エースとなった3年時には部内暴力や野球特待生問題で約半年間の活動停止処分を受けながらも、処分明けの練習試合では強豪校相手に6試合連続完封勝利を収め、プロ注目の選手として名が挙がるようになる。
小池 翔大(こいけ しょうた、1988年6月24日 - )は… 小池 翔大(こいけ しょうた、1988年6月24日 - )は、東京都葛飾区出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。 葛飾区立高砂小学校1年から投手兼捕手として野球を始める。 修徳学園中時代は、軟式野球部に所属し3年時に第25回全国中学校軟式野球大会で準優勝を果たす。 常総学院高では、1年時の秋から正捕手となり2年時の春、3年時の夏と2度の甲子園出場を果たす。高校通算7本塁打。当時から、ドラフト候補に挙げられていた。 青学大に進学すると、1年時の春季リーグからレギュラーとして出場。開幕の駒大戦でリーグ史上初となる満塁本塁打を放ちデビューを飾ると、リーグ10位となる打率.289をマーク、ベストナインを受賞した。
坂 克彦(さか かつひこ、1985年9月6日 - )は、茨城… 坂 克彦(さか かつひこ、1985年9月6日 - )は、茨城県新治郡出島村(後に霞ヶ浦町を経て、現:かすみがうら市)出身の元プロ野球選手(内野手・外野手、右投左打)・コーチ・監督。 霞ヶ浦町立南中学校では軟式野球部に所属。常総学院高校では1年時からレギュラーとなり、3年連続で全国高等学校野球選手権大会に出場。2年夏の第84回全国高等学校野球選手権大会では森岡良介、筧裕次郎らを擁し初優勝した明徳義塾高校に敗れたものの16強入り。その後、新チーム結成時には主将となったが翌年6月に降りた。3年夏、県大会決勝で美馬学を擁した藤代高校に勝利、その後の第85回全国高等学校野球選手権大会では3番遊撃手として出場。
松林 康徳(まつばやし やすのり、1985年8月19日 - … 松林 康徳(まつばやし やすのり、1985年8月19日 - )は、神奈川県川崎市出身の高校野球指導者。 常総学院で野球部長を務め、生徒として在学した当時は3年生時に野球部主将だった。現役時代は右投上打。一塁手。 東京城南ボーイズから、常総学院へと入学する[要出典]。しかし、中学3年時に松林のプレーを見た監督の木内幸男に「君は並の子。身の丈に合った学校に行ったほうがいい。」と現実を突きつけられた。 野球部入部後は、木内の前で素振りをしたり、声を出しているのが実を結んで、2年秋に背番号19を手にするも、過度の練習で左手首を疲労骨折してしまうが、声が大きいという理由で3塁コーチに任命された。 関東大会1回戦、宇都宮工との試合で代打として公式戦に初出場する。
横川 史学(よこがわ ふみのり、1984年12月3日 - )… 横川 史学(よこがわ ふみのり、1984年12月3日 - )は、千葉県千葉市(現:花見川区)出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)、指導者。右投左打。 愛称は「ヨコ」「ヨコやん」。 小学1年生で野球を始める。千葉市立朝日ヶ丘小学校時代は「千葉市リトル」で、千葉市立朝日ヶ丘中学校時代は「千葉北シニア」でプレーする。高橋悠太は中学時代の先輩である。また、横川の姉が「nano.RIPE」のきみコと小中学校のクラスメイトであり、横川が小学生の時まで同じマンションに住んでいた幼馴染の関係である。 常総学院高等学校へ進学後は、同級生の大﨑雄太朗と共に2001年の第73回選抜高等学校野球大会で優勝した。同大会では全試合「7番・一塁手」で出場。
大﨑 雄太朗(おおさき ゆうたろう、1984年10月18日 … 大﨑 雄太朗(おおさき ゆうたろう、1984年10月18日 - )は、東京都昭島市生まれ、茨城県稲敷郡茎崎町出身(現つくば市)の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。愛称は「チャキ」。 1992年(小学2年時)より茨城県つくば市の茎崎ファイターズで野球を始める。 1997年(中学1年時)より竜ヶ崎リトルシニアに所属し、同学年に神戸拓光が在籍。中学3年時は、野球以外の競技である陸上走り幅跳びの種目で茨城県総合体育大会に出場し準優勝した。 常総学院高等学校では1年生春から1番二塁手として出場。同学年に横川史学、1学年下に坂克彦が在籍。 2000年(高校1年時)第31回明治神宮野球大会に東福岡高校と対戦し、本塁打を記録したが敗戦。
大﨑 雄太朗(おおさき ゆうたろう、1984年10月18日 … 大﨑 雄太朗(おおさき ゆうたろう、1984年10月18日 - )は、茨城県つくば市出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。埼玉西武ライオンズ所属。
金子 誠(かねこ まこと、1975年11月8日 - )は、千… 金子 誠(かねこ まこと、1975年11月8日 - )は、千葉県我孫子市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、プロ野球コーチ、野球解説者。右投右打。妻は元テレビ朝日のスポーツ記者・ニュースキャスターの白木清か。アテネオリンピック野球の銅メダリスト。 常総学院高校で甲子園には春夏合わせて3回出場。高校時代は遊撃手をしていた。3年夏(1993年・第75回選手権大会)は、準決勝で土肥義弘を擁する春日部共栄高校に敗退。同大会では全試合で安打を記録した。同年秋のドラフト会議で日本ハムに3位指名されて入団した。 1994年、一軍出場はなかった。 1995年、プロ入り初出場を果たし、4試合に出場。2安打を放った。
仁志 敏久(にし としひさ、1971年10月4日 - )は、… 仁志 敏久(にし としひさ、1971年10月4日 - )は、茨城県古河市出身の元プロ野球選手(内野手・右投右打)、野球指導者、体育学者。学位は体育学修士(筑波大学大学院・2016年)。江戸川大学客員教授。 常総学院高等学校では1年生からレギュラーを務め、エースの島田直也と共に活躍した。全国高等学校野球選手権大会に3年連続で出場し、1年時の第69回全国高等学校野球選手権大会では決勝でPL学園高等学校に敗退し準優勝。1988年の第70回大会では始球式打者として、当時の徳仁親王と対戦。高校通算28本塁打。1989年のドラフト会議では指名候補に挙がるが、この時は指名を受けることはなかった。 早稲田大学人間科学部に入学。
島田 直也(しまだ なおや、1970年3月17日 - )は、… 島田 直也(しまだ なおや、1970年3月17日 - )は、千葉県柏市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。常総学院高等学校職員。 常総学院高等学校硬式野球部の出身。2003年に現役を引退してからは、(独立リーグを含む)日本のプロ野球3球団でのコーチや監督などを経て、2020年7月26日から同部の監督を務めている。 小学1年から野球を始め柏市立富勢中学時代はエースピッチャーであった。常総学院高時代は捕手、内野手、外野手と様々なポジションを経験した後に再び投手となる。1987年の甲子園に春・夏連続出場を果たし、春は常総学院初の甲子園出場も1回戦敗退、夏は決勝でPL学園高に敗れて準優勝投手となる。
木内 幸男(きうち ゆきお、1931年7月12日 - )は、… 木内 幸男(きうち ゆきお、1931年7月12日 - )は、茨城県土浦市出身の高校野球指導者。茨城県立取手第二高等学校・常総学院高等学校の野球部監督を歴任したことで知られる。