スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
星 知弥(ほし ともや、1994年4月15日 - )は、栃木… 星 知弥(ほし ともや、1994年4月15日 - )は、栃木県那須郡那珂川町出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 高校時代からプロスカウトから注目されたが、プロ志望をせずに明治大学へと進み、硬式野球部に入部した。1年春のリーグ戦で154km/hを計測した。大学通算成績は、46試合に登板し、4勝5敗、防御率2.59。ちなみに1年先輩に高山俊や坂本誠志郎、同級生に柳裕也や佐野恵太などがいる。 2016年10月20日に行われたドラフト会議で東京ヤクルトスワローズからドラフト2位指名を受けた。そして2016年12月1日、契約金7000万円、年俸1200万円で仮契約した。背番号は24。
仁平 馨(にへい かおる、1971年6月18日 - )は、栃… 仁平 馨(にへい かおる、1971年6月18日 - )は、栃木県出身の元プロ野球選手(外野手)。 宇都宮工業高では、投手も務めて2年秋の県大会決勝で佐野日大高の麦倉洋一に完投勝ち、関東大会の準決勝でも先発登板したが敗れた。1989年に春のセンバツに出場するが、1回戦で脇坂浩二のいた近大附高に敗退した。しかし、4割の打率と高校通算69盗塁という成績が評価され、1989年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから2位指名を受け入団。 プロ1年目の1990年より一軍出場を果たし、1994年にはスタメンとしても出場するなど82試合に出場するが、その後は伸び悩み1997年オフに無償トレードで中日ドラゴンズに移籍。
大井 道夫(おおい みちお、1941年9月30日 - )は、… 大井 道夫(おおい みちお、1941年9月30日 - )は、日本の元アマチュア野球選手(投手)、高校野球指導者で、元日本文理高等学校(新潟)野球部監督。 栃木県出身。栃木県立宇都宮工業高等学校、早稲田大学第二商学部卒。 宇都宮工の左腕エースとして活躍。2年生時の1958年夏の甲子園県予選決勝に進むが、作新学院に敗退。翌1959年夏は北関東大会決勝で前橋高に延長15回サヨナラ勝ち、夏の甲子園出場を決める。大会では順調に勝ち進み、準決勝は東北高の嶺岸征男(後に大毎)、波山次郎(後に大洋)との投手戦となるが、延長10回2-1でサヨナラ勝ち。決勝では西条高のエース金子哲夫(後に阪神)と投げ合い、延長15回の末2-8で敗れ準優勝にとどまった。
阿久津 義雄(あくつ よしお、1936年7月11日 - )は… 阿久津 義雄(あくつ よしお、1936年7月11日 - )は、栃木県出身の元プロ野球選手(投手)。 宇都宮工業高校から1955年に中日ドラゴンズに入団。在籍4年間で2試合のみの登板に終わり、1958年に引退。
神田 昌男(かんだ まさお、1933年11月8日 - )は、… 神田 昌男(かんだ まさお、1933年11月8日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元プロ野球選手。 宇都宮工業高校では吉成武雄とバッテリーを組んで1950年夏と1951年春に甲子園出場。 1952年に大洋ホエールズへ吉成と共に入団。1958年に引退。 引退後は日立製作所で監督を務めた。
吉成 武雄(よしなり たけお、1932年7月20日 - 19… 吉成 武雄(よしなり たけお、1932年7月20日 - 1960年6月10日)は、栃木県宇都宮市出身 のプロ野球選手(捕手)。右投左打。 宇都宮工業高校では、同期の神田昌男とバッテリーを組み、捕手、三番打者として甲子園に2回出場。1950年夏の選手権は2回戦(初戦)でエース大沢昭を擁する神奈川商工を降し、準々決勝では若狭高に大勝。準決勝に進むが、松山東高の池田勉(津田鋼材)に抑えられ完封負け。翌1951年春の選抜は1回戦で平安高の清水宏員を打ち崩し完封勝ち、しかし準々決勝で明治高のエース松尾豊(明大)に完封負けを喫する。明治高には沖山光利がいた。 1952年に大洋ホエールズへ神田と共に入団。同年は荒川昇治の控え捕手であったが、シーズン終盤には13試合に先発マスクを被る。