伊地知 賢造(いじち けんぞう、2001年8月23日 - )… 伊地知 賢造(いじち けんぞう、2001年8月23日 - )は、日本の陸上競技選手。埼玉県鶴ヶ島市出身。國學院大學人間開発学部卒業。ヤクルト陸上競技部に所属し、専門種目は長距離走。 鶴ヶ島市立藤中学校、埼玉県立松山高等学校、國學院大學卒業。
埼玉県立松山高等学校:7人
伊地知 賢造(いじち けんぞう、2001年8月23日 - )… 伊地知 賢造(いじち けんぞう、2001年8月23日 - )は、日本の陸上競技選手。埼玉県鶴ヶ島市出身。國學院大學人間開発学部卒業。ヤクルト陸上競技部に所属し、専門種目は長距離走。 鶴ヶ島市立藤中学校、埼玉県立松山高等学校、國學院大學卒業。
小山 直城(こやま なおき、1996年5月12日 - )は、… 小山 直城(こやま なおき、1996年5月12日 - )は、日本の陸上競技選手。本田技研工業陸上競技部に所属し、専門種目は長距離走。 埼玉県日高市出身。日高市立高麗川中学校から埼玉県立松山高校に進むと、同校3年時の全国都道府県対抗男子駅伝では4区区間賞に輝く。東京農業大学では、関東インカレで1年時に2部5000mで5位入賞。4年時(2018年)は2部10000mで5位(日本人2位)、5000mで日本人トップ(全体2位)という成績を残す一方で、チームとしては箱根駅伝に出場する機会は無く、2年時の第93回大会(2017年)で関東学生連合の一員として4区を走行し10位相当の成績を残すのみであった。 卒業後は本田技研工業に入社すると、陸上競技部ではニューイヤー駅伝で頭角を現し、第66回大会(2022年)には3区で9人抜きを演じて初優勝に貢献、次の第67回大会(2023年)ではエース区間の4区を任され、トップと25秒差の3位から12秒差のトップを奪う快走を見せ、チームの連覇に貢献した。
大室 秀樹(おおむろ ひでき、1990年7月25日 - )は… 大室 秀樹(おおむろ ひでき、1990年7月25日 - )は、埼玉県出身の陸上競技選手。専門はハードル。110mハードルで13秒48、200mハードルで22秒80(元アジア最高記録)の自己ベストを持つ。2017年ロンドン世界選手権男子110mハードルの日本代表。 吉見町立吉見中学校、埼玉県立松山高等学校、筑波大学卒業。筑波大学大学院修了。大塚製薬所属。 小学生の時にモーリス・グリーンの影響で陸上競技を始め、中学生になってから110mハードルを始めた。中学時代は3年生の時に2005年ジュニアオリンピック110mハードルで表彰台(3位)に上った。 地元埼玉県で開催された2008年インターハイ110mハードルを高校歴代4位(当時)の14秒05(+0.4)で制すると、10月の日本ジュニア選手権110mハードルも高校歴代3位(当時)の14秒01で制して高校2冠を達成した。
佐藤 真太郎(さとう しんたろう、1980年8月20日 - … 佐藤 真太郎(さとう しんたろう、1980年8月20日 - )は、日本のオリンピック選手、ボブスレー選手、陸上競技選手。埼玉県鶴ヶ島市出身。早稲田大学人間科学部卒業、筑波大学大学院修了。 ソチオリンピックボブスレー競技日本代表。陸上競技の成績は埼玉国体100m優勝、日本選手権リレー4×100mリレー優勝2回。 当初は長距離の選手で、鶴ヶ島市立藤中学校1年の時に駅伝の県大会で10位に入る。2年時からロングスプリンターになり、全日中400mで準決勝進出、ジュニアオリンピックC400mで2位という成績を残し、3年時には全日中400mを制覇して全国タイトルを獲得した。 松山高校に進学し、1年時に国体少年B400mで6位、3年の時にインターハイ400mで準決勝進出、国体少年A400mで4位、日本ジュニア選手権400mで7位という成績を残した。
小林 正幹(こばやし まさもと、1973年3月16日 - )… 小林 正幹(こばやし まさもと、1973年3月16日 - )は、埼玉県出身の日本の陸上競技選手。専門は長距離種目。埼玉県立松山高等学校→早稲田大学→エスビー食品→SUBARU。身長170cm、体重55kg。 埼玉県立松山高等学校時代にインターハイ1500mにおいて3分51秒02で優勝。 早稲田大学競走部時代は東京箱根間往復大学駅伝競走大会に1年(1992年)から出場し4区(21.0km)を、区間8位の1時間05分58秒で駆け抜けた。2年時(1993年)の箱根駅伝では、3区(21.5km)を1時間04分13秒で区間賞、箱根駅伝、早稲田大学が7年ぶりの往路優勝、8年ぶり12回目の総合優勝に貢献した。
大沢 知宏(おおさわ ともひろ、1969年4月2日 - 20… 大沢 知宏(おおさわ ともひろ、1969年4月2日 - 2016年4月6日)は、埼玉県出身の元陸上競技選手・元陸上競技指導者。1988年ソウルオリンピックの日本代表。 中学時代は野球部に所属。松山高等学校入学後に陸上に転向した。 高校2年時にインターハイ男子100mで3位。3年時のインターハイ男子100mでは、ディフェンディングチャンピオンの名倉雅弥、高校生ながら男子100mの日本記録(手動計時)を樹立していた中道貴之を抑えて優勝した。更にアンカーを務めた男子4×100mリレーも優勝に貢献し、男子100mとの大会2冠を達成。総合優勝に貢献し、最優秀選手賞に選出された。 早稲田大学時代には、1年時の1988年に日本選手権男子100mで2位に入り、ソウルオリンピックの日本代表に選出。
笠原 章平(かさはら しょうへい、1939年7月21日 - … 笠原 章平(かさはら しょうへい、1939年7月21日 - )は、日本のハンマー投選手。 1964年東京オリンピックに出場した。 埼玉県比企郡竹沢村(現在の小川町)出身、埼玉県立松山高等学校に入学。兄が松山高校の陸上部元主将であった縁で、陸上部に属することとなった。ハンマー投げは高校在学中から始め、県大会優勝やインターハイ準優勝といった成績を残した。 中央大学に進学。1962年(昭和37年)に中央大学を卒業し、東急電鉄に入社、実業団チームに属する。1964年(昭和39年)8月の記録会で、自己最高記録(65m01)を出す。1964年東京オリンピックのハンマー投で出場するが、予選落ち。後年の取材によれば「周囲の期待を裏切ってしまったという申し訳なさから、東京五輪出場の話題は長く封印してきた」という。