スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
井沢 元彦(いざわ もとひこ、1954年2月1日 -)は、日… 井沢 元彦(いざわ もとひこ、1954年2月1日 -)は、日本の小説家、推理作家。元TBS報道記者。愛知県名古屋市出身。 東京都立千歳高等学校(東京都立芦花高等学校の前身の一校)を経て、早稲田大学法学部卒業。大学在学中、「倒錯の報復」が江戸川乱歩賞候補となる。1977年にTBSへ入社(三雲孝江、吉川美代子、神津栄子、田代冬彦、金平茂紀、齊藤薫は同期)。報道局(政治部)記者時代の1980年に『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞。1985年にTBSを退職して、以降は作家に専念。 2012年1月、愛知県が立ち上げた「中京独立戦略本部」の本部員に就任(2014年以降、会合が行われた形跡はない)。2012年4月、種智院大学客員教授。
田中 未知(たなか みち、1945年〈昭和20年〉 - )は… 田中 未知(たなか みち、1945年〈昭和20年〉 - )は、日本の作曲家、楽器作家、映画監督、著作家。寺山修司を長年にわたり公私にわたって支えた人物、および1969年(昭和44年)のヒット曲『時には母のない子のように』の作曲家などとして知られる。東京都出身、東京都立千歳高等学校卒業。 昭和期の劇団「天井桟敷」の初期メンバーとして入団。初公演「青森県のせむし男」(1967年〈昭和42年〉)から劇団の一員として活動しており、制作と照明を担当していた。 天井桟敷の旗揚げ公演の資金作りのため、寺山を囲む会費制のサロンの会が開催され、そのコーナーの一環として、田中が寺山の詩に曲をつけ、ギターで披露した。
片岡 義男(かたおか よしお、1939年3月20日 -)は、… 片岡 義男(かたおか よしお、1939年3月20日 -)は、日本の小説家、エッセイスト、写真家、翻訳家、評論家である。 東京生まれ。祖父の片岡仁吉は山口県の屋代島(周防大島)出身で、ハワイに移民した人物。父の定一は米国の市民権を有する日系二世 である。父は若い頃に苦学をして米本土に渡り、金銭的に余裕ができると、横浜や神戸に遊びにきていた。母は近江八幡の古くから続く数珠屋の娘で、奈良女子高等師範学校を卒業して、山口県の岩国で女学校の講師をしていた。父母は岩国で見合い結婚をして、その後アメリカに戻る予定であったが、戦争が近づいていたため、アメリカにはもどれず、母の希望で東京に出る。父は家庭内では英語しか話さず、家庭は英語と関西言葉が飛び交う場所だった。
本田 靖春(ほんだ やすはる、1933年(昭和8年)3月21… 本田 靖春(ほんだ やすはる、1933年(昭和8年)3月21日 - 2004年(平成16年)12月4日)は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家。 朝鮮・京城府生まれ。父は朝鮮総督府の役人で、後に日本高周波重工業に移った。会社では廉潔な管理職だったが、自宅では異様なほどに躾に厳しかったという。東京都立千歳高等学校、早稲田大学政治経済学部新聞学科卒業。高校時代の同級生に映画監督の恩地日出夫がいる。 1955年、読売新聞社に入社。直後から社会部に在籍、朝日新聞社の深代惇郎とは同じ警察担当記者として接点があった。1964年、売血の実態を抉った「黄色い血」追放キャンペーンでは、自らも山谷の売血常習者たちの列に並んで売血するなどの綿密な取材の効果あって大きな反響を呼び、献血事業の改善につながった。