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副島 千八(そえじま せんぱち、1881年(明治14年)8月… 副島 千八(そえじま せんぱち、1881年(明治14年)8月15日 - 1954年(昭和29年)2月15日)は、日本の明治期から昭和期の官僚。幣原内閣の農林大臣や関東証券の社長を務めた。位階および勲等は従三位、勲二等。 佐賀中学校(旧制)から郁文館中学校に転校。第一高等学校に進学し、1907年(明治40年)東京帝国大学法科大学を卒業した。 農商務省に入省し、農政課長、食糧局長、製鉄所次長、鉱山局長を歴任した。1925年(大正14年)に農商務省が商工省と農林省に分割されると商工省商務局長に就任し、関税率改正準備委員会臨時港湾調査会、国産振興委員会委員、関税常設委員会、損害保険制度調査委員会、不当廉売審査委員会などの委員を務めた。
潮 恵之輔(うしお しげのすけ、1881年〈明治14年〉8月… 潮 恵之輔(うしお しげのすけ、1881年〈明治14年〉8月11日 - 1955年〈昭和30年〉1月9日)は、日本の内務官僚。後に内務大臣兼文部大臣、最後の枢密院副議長を務める。 1881年(明治14年)、綿職人・潮房太郎の二男として島根県美濃郡横田村(後に同郡豊田村字横田となり、現在は益田市横田町)に生まれる。郁文館中学、一高を経て、1907年(明治40年)、東京帝国大学法科大学卒業後に内務省入省。行政法の専門家として活動、衛生局長・地方局長などを歴任した。1928年(昭和3年)に田中義一内閣の内務次官となり、濱口内閣・第2次若槻内閣で次官を務めた後に1931年(昭和6年)に貴族院勅選議員となる(研究会所属)。
泉二 新熊(もとじ しんくま、1876年〈明治9年〉1月27… 泉二 新熊(もとじ しんくま、1876年〈明治9年〉1月27日 - 1947年〈昭和22年〉10月25日)は、日本の刑法学者、裁判官、司法官僚。第20代大審院長、第13代大審院検事総長、枢密顧問官。法学博士。奄美大島出身で、「東京奄美会」初代会長。 鹿児島県大島郡中勝村、現在の龍郷町中勝出身。泉二当整の長男。中勝小学校簡易科に入学し、後に簡易科廃止・学校統合により戸口小学校に通学。1887年(明治20年)名瀬小学校に転校し、その後同校を卒業。1889年(明治22年)、名瀬に高等小学校が設置され、1期生として入学。1890年(明治23年)、母方の叔父である大島信の勧めにより、高等小学校1年修了で上京して郁文館中学校(旧制)に入学。
柳田 國男(やなぎた くにお、1875年(明治8年)7月31… 柳田 國男(やなぎた くにお、1875年(明治8年)7月31日 - 1962年(昭和37年)8月8日)は、日本の官僚、民俗学者。 東京帝国大学法科大学(現在の東京大学法学部)を卒業して農商務省(現在の経済産業省・農林水産省)官僚となり、貴族院書記官長(現在の衆議院事務総長/参議院事務総長に相当)まで昇り詰めた。退官して約20年を経た1946年(昭和21年)に枢密顧問官に補され、枢密院が廃止されるまで在任した。 日本学士院会員、日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。位階・勲等は正三位・勲一等。出版物等においては、常用漢字体による「柳田 国男」という表記も使用される。 「日本人とは何か」という問いの答えを求め、日本列島各地や当時の日本領の外地を調査旅行した。