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菱沼 五郎(ひしぬま ごろう、1912年〈大正元年〉8月20… 菱沼 五郎(ひしぬま ごろう、1912年〈大正元年〉8月20日 - 1990年〈平成2年〉10月3日)は、日本の政治家(茨城県議会議員、同議長)、実業家、テロリスト。別名は小幡五朗。 茨城県那珂郡前渡村にて農業徳松の三男として生まれ、水戸勤王の遺風を学んで成長した。上京後は自動車の助手を経て岩倉鉄道学校(現・岩倉高等学校)に進学。1929年(昭和4年)10月、同校業務課を卒業し、翌1930年(昭和5年)、東武東上線池袋駅に就職するつもりが、紅緑色盲のため鉄道業務に致命的であると判断されて就職できなかった。失意の中、大洗町の護国堂にいた井上日召のもとに通う。 1930年(昭和5年)、ロンドン軍縮条約をめぐって統帥権干犯問題が起きると、日本国民党(委員長・寺田稲次郎、書記次長・鈴木善一)がその抗議行動のために結成しようとした決死隊に参加。
大川 博(おおかわ ひろし、1896年〈明治29年〉12月3… 大川 博(おおかわ ひろし、1896年〈明治29年〉12月30日 - 1971年〈昭和46年〉8月17日)は、日本の実業家、映画製作者、プロ野球オーナー。東映初代社長。日本教育テレビ (NET) 初代会長、2代目社長。 7人兄姉の末っ子として、新潟県西蒲原郡加奈居村大字羽黒(松長村、燕市の一部、中之口村を経て、現在の新潟市西蒲区)に生まれる。先祖は戦国時代の勇将、村上義清の家臣だったといい、江戸時代には庄屋、明治期には戸長(村長)を務め、村では名家として扱われていた。しかし、父が理財に疎かったこともあって家計は次第に苦しくなった。 1913年(大正2年)、15歳の時、上京して上野の岩倉鉄道学校に入学した。
神部 満之助(かんべ まんのすけ、1893年〈明治26年〉1… 神部 満之助(かんべ まんのすけ、1893年〈明治26年〉1月2日 - 1972年〈昭和47年〉9月10日)は、日本の土木工事技術者、経営者。間組社長を務めた。 神奈川県足柄上郡南足柄村で裕福な家庭に生まれる。南足柄小学校高等科を経て、1909年(明治42年)に岩倉鉄道学校建設科を卒業し、同年10月に間組に入社した。約10年にわたって朝鮮半島で道路建設に従事した。 1923年(大正12年)6月、山梨県南巨摩郡で榑坪発電所(後の早川第一発電所)の工事を管轄していた早川出張所の主任が急死し、神部がその後任に就いた。1925年7月、当時50歳の松永安左エ門が大井川水系の電源調査のために赤石山脈を縦走することになり、神部が案内役として先導した。
牧田 甚一(まきた じんいち、1892年 <明治25年> 2… 牧田 甚一(まきた じんいち、1892年 <明治25年> 2月27日 - 1986年 <昭和61年> 11月12日)は、日本の経営者。熊谷組社長、会長を務めた。鳥取県倉吉市出身。位階は従四位。 1912年に岩倉鉄道学校建築科を卒業し、1915年に飛島組に入社。1938年に熊谷組の設立に携わり、専務に就任し、1959年3月に副社長に就任し、1967年12月には社長に昇格。1978年12月に会長に就任。 1955年7月に藍綬褒章を受章し、1974年に勲三等旭日中綬章を受章。 1986年11月12日急性心不全のために死去。94歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
貝谷 真孜(眞孜、かいたに しんし、1877年(明治10年)… 貝谷 真孜(眞孜、かいたに しんし、1877年(明治10年)10月12日 - 1937年(昭和12年)11月2日)は、日本の技術者、実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・野田。 郡長、税務署長、細川家顧問などを務めた熊本県人・野田慶幸の三男として生まれる。1900年(明治33年)貝谷弥三の養子となり、その長女・多美と結婚し貝谷に改姓。 小学校を卒業後に上京し、1899年(明治32年)7月、東京鉄道学校鉄道建設科を卒業し、鉄道作業局建設部、東京市土木技手、熊本県飽託郡道路組合嘱託、同県水力電気調査助手、天草郡吏員を歴任。 1905年(明治38年)4月、三池炭鉱に入社し、工手長心得、工手長、鉱務技士心得、鉱務技士、建築技師、庶務事務員などを務め、1926年(大正15年)10月に退職した。