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清水 武蔵(しみず むさし、2003年4月14日 - )は、… 清水 武蔵(しみず むさし、2003年4月14日 - )は、鹿児島県日置市出身のプロ野球選手(内野手、外野手、育成選手)。右投げ右打ち。オリックス・バファローズ所属。 小学校3年時から野球を始め、日置市立土橋中学校在学時は桜島ボーイズに所属。 高校は東京都の国士舘高等学校に進学し、1年夏からベンチ入りする。1年次にチームは第92回選抜高等学校野球大会に出場予定だったが同大会は中止となり、代替として開催された2020年甲子園高校野球交流試合にスタメン出場し、1安打1得点を記録した。3年夏は西東京大会3回戦で敗退しており、選抜高等学校野球大会および全国高等学校野球選手権大会への出場経験はない。 2021年12月、ベースボール・チャレンジ・リーグ(ルートインBCリーグ)所属の栃木ゴールデンブレーブスに入団することが発表された。
山本 恵大(やまもと けいた、1999年8月6日 - )は、… 山本 恵大(やまもと けいた、1999年8月6日 - )は、東京都小金井市出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 小金井市立前原小学校時には「前原小サンファイターズ」に所属。小金井市立小金井第二中学校時代には「東京府中ボーイズ」に所属。 国士舘高等学校では2年夏からレギュラーとなったが、2年秋の都大会4強が最高成績で全国大会への出場はなかった。高校通算20本塁打。 高校卒業後は明星大学経済学部経済学科に進学。4年間を通じて首都大学野球リーグの2部でプレーした。大学通算25本塁打。 2021年10月11日に行われたプロ野球ドラフト会議において福岡ソフトバンクホークスから育成選手ドラフト9位で指名され、10月28日に支度金300万円、年俸400万円(金額は推定)で入団に合意した。
笠井 駿(かさい しゅん、1995年4月20日 - )は、東… 笠井 駿(かさい しゅん、1995年4月20日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(内野手・外野手)、指導者。右投右打。プロでは育成選手であった。 中学時代は武蔵府中シニアに所属。国士舘高時代は、甲子園出場経験はなし。 高校卒業後は東北福祉大学へ進学し、仙台六大学野球連盟に加盟する同校の硬式野球部に入部。大学時代に、チームは3年次の第65回全日本大学野球選手権大会と4年次の第66回全日本大学野球選手権大会に2年連続で出場している。 2017年10月26日、プロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから育成選手ドラフト3位指名を受け、入団。 2020年11月2日、戦力外通告が公示された。 2021年よりジャイアンツアカデミーのコーチに就任した。
久古 健太郎(きゅうこ けんたろう、1986年5月16日 -… 久古 健太郎(きゅうこ けんたろう、1986年5月16日 - )は、東京都豊島区出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 東京都豊島区巣鴨出身で、両親は北海道上川郡新得町出身。小学1年から野球を始め、中学時代は豊島シニアに所属。国士舘高校時代は、1年秋から新垣勇人に続く2番手の先発投手となり、明治神宮野球大会では1回戦の延岡学園高校戦で先発投手を務める。2年春には第75回選抜高等学校野球大会に出場し、初戦(2回戦)で堂上剛裕を擁する愛知工業大学名電高校と対戦して7回を2安打1失点で、0対1で敗退。エースとして迎えた3年夏は東東京大会の準々決勝で正則学園高校に敗れた。 高校卒業後は青山学院大学に進学し、野球部に所属。
新垣 勇人(あらかき はやと、1985年10月21日 - )… 新垣 勇人(あらかき はやと、1985年10月21日 - )は、神奈川県相模原市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。右投右打。 合同会社カキシード代表。プロ野球引退後は社会人野球の東芝野球部で投手コーチを務めた。現在は石狩レッドフェニックスでコーチを務めている。 相模原市立上溝中学校への入学時からシニアリーグの「相模原南シニア」に所属。当時のチームメイトである市川友也とは、後に日本ハムでもバッテリーを組んでいる。 相模原南シニアを1年足らずで辞めて、中学校の野球部へ入部。2年時からエースを任されると、3年時には神奈川県大会で優勝。この優勝によって臨んだ関東中学校軟式野球大会では、準決勝で成瀬善久を擁する小山市立桑中学校に勝利したが、決勝戦で千葉県旭市立第二中学校に敗れた。
小島 心二郎(こじま しんじろう、1982年6月11日 - … 小島 心二郎(こじま しんじろう、1982年6月11日 - )は、東京都小平市出身の元プロ野球選手(投手)。旧登録名及び本名は小島 紳二郎(読み方同じ)。 中学時代は東村山リトルシニアでプレー。国士舘高等学校2年時の秋季東京都大会は、決勝での完封勝利など優勝に貢献。3年春の第72回選抜高等学校野球大会では初戦の高岡第一高等学校戦で完封勝利を挙げた。2回戦の智弁和歌山戦で8点差を逆転され敗退。同年6月に来日した全米高校選抜チームとの対戦では、東京都選抜チームのエースとして登板して勝利した。全国高等学校野球選手権東東京大会は、直前に肘を故障して登板することができず、チームは決勝で桑原義行を擁する日大豊山高等学校に敗れたため、甲子園での復帰は叶わなかった。
金子 洋平(かねこ ようへい、1981年12月4日 - )は… 金子 洋平(かねこ ようへい、1981年12月4日 - )は、山口県山口市出身の元プロ野球選手(外野手)、野球指導者。右投右打。 中学時代はボーイズリーグ・多摩ファイターズボーイズ(現・武蔵多摩ボーイズ)でプレー。国士舘高校では2年春の選抜大会に控え野手として出場。主将として臨んだ3年夏の東東京大会では一番を任され、3本塁打を記録するもベスト8で世田谷学園に敗れた。高校卒業後は青山学院大学へ進学。東都リーグでは2年春にリーグ6位の打率.353を記録しベストナインに選ばれている。4年秋には五番打者として3本塁打を放ち、8季ぶりのリーグ優勝に貢献した。大学4年間の通算成績は76試合出場、224打数56安打、打率.250、7本塁打、45打点。
五十嵐 貴章(いがらし たかあき、1977年9月21日 - … 五十嵐 貴章(いがらし たかあき、1977年9月21日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(投手)。 国士舘高では、2年秋に都大会ベスト4、3年春は準決勝で先発するが延長の末に敗退。1学年上に筒井正也がいた。関東学園大学へ進学。1年秋から最多勝の活躍をして大学選手権にも出場してリーグ通算22勝。4年春は6勝で優勝に貢献、最高殊勲選手、ベストナインを受賞。日米大学野球では水戸開催(関甲新学生)の地域代表選手として登板した。JR東日本を経て、2001年のドラフト会議にてヤクルトスワローズから7巡目で指名を受け入団。 2004年、一軍での登板がないまま、シーズン終了後に球団から戦力外通告を受ける。 2005年、アメリカ独立リーグ(ゴールデンベースボールリーグ)のジャパン・サムライ・ベアーズに入団するも、2006年に同チームの解散に伴い、社会人野球の京都ファイアーバーズに入団。
筒井 正也(つつい まさや、1976年4月11日 - )は、… 筒井 正也(つつい まさや、1976年4月11日 - )は、東京都江東区出身の元プロ野球選手(投手)。現在は中日ドラゴンズでスコアラーを務めている。 中学時代は墨田リトルシニア。国士舘高校で1993年に2年でセンバツに出場し、2回戦の市立船橋高戦では9回表から延長15回まで1安打に抑える好投でベスト4進出に大きく貢献した。1994年、3年夏の西東京大会では3回戦、都立東大和高戦で9回ノーヒットノーランを記録。この大会では打撃でも3本塁打を放ち、決勝進出の原動力となる。 その後、国士舘大学に進学すると1年春のみ東都大学野球1部リーグで1試合に登板、以降は2部で2年生からエースとして活躍。2部リーグながら通算15勝、MVP・最優秀投手賞を各2回受賞している。
浜名 千広(はまな ちひろ、1969年11月11日 - )は… 浜名 千広(はまな ちひろ、1969年11月11日 - )は、大阪府豊中市出身の元プロ野球選手(内野手)。現在は野球評論家、プロ野球解説者、アマチュア野球選手。 鳥取県に生まれ、大阪府豊中市(小学校時代)及び京都府(中学校時代)で育つ。小学校3年時から野球を始める。国士舘高校では内野手として活躍。 高校卒業後は東北福祉大学に進学し、仙台六大学野球リーグでは在学中7回の優勝を経験、2年春季リーグで新人賞を獲得している。1990年の大学野球日本選手権は決勝で亜大に敗退し準優勝。同年の第19回日米大学野球選手権大会に大学1年上の小坂勝仁、矢野輝弘らとともに選出される。1991年の大学野球日本選手権は、決勝で関大を延長17回の熱戦の末に降し初優勝を飾る。
森 健次郎(もり けんじろう、1964年(昭和39年)1月2… 森 健次郎(もり けんじろう、1964年(昭和39年)1月22日 - )は、日本のプロ野球審判員。現役引退時の審判員袖番号は27。2023年シーズンよりNPBの審判長を務める。東京都世田谷区出身。 国士舘高等学校では野球部でマネージャーを務め、国士舘大学、森商事、東都大学野球審判員を経て、1988年にセントラル・リーグ審判部に入局 した。審判員袖番号は27(1988年初採用から)、笠原昌春と同様にセ・リーグが審判員に袖番号を採用した初年度に入局した審判員である。 身長はさほど高くなく、がっちりした体型である。全体的にストライクゾーンがかなり広く、特に外角はMLBの審判並みにワイドと言われている。
高柳 信英(たかやなぎ のぶひで、1952年10月26日 -… 高柳 信英(たかやなぎ のぶひで、1952年10月26日 - )は、元アマチュア野球選手である。ポジションは捕手。字形の異なる髙栁 信英と表記されることもある。実弟は元プロ野球選手の高柳秀樹。 茨城県鉾田市出身。国士舘高校では1年秋に都大会ベスト4。1970年夏の東京都大会で準々決勝に進むが、帝京商工に敗退。卒業後は国士舘大学に入学する。東都大学野球リーグでは在学中二部リーグにとどまるが、1974年秋季リーグで優勝、入替戦で日大を降し翌年からの一部リーグ昇格を決める。 大学卒業後は、社会人野球の日本楽器チームに入団する。チームでは捕手として6年間プレーし、1976年の都市対抗では大昭和製紙の補強選手として、大会初出場を果たす。
鈴木 弘(すずき ひろし、1948年6月28日 - )は、東… 鈴木 弘(すずき ひろし、1948年6月28日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(内野手)。左投左打。 196cmの長身から「ジャンボ鈴木」の異名を持つ。 国士舘高等学校、大東文化大学を経て、1970年春にキャピー原田に誘われサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結んだ。MLBの球団と契約した初の日本人野手となった。 この年の3月に行われた日米野球にジャイアンツのメンバーとして来日して2試合に出場(うち1試合は先発)。アメリカに戻った後は傘下A級ディケーター・コモドアーズ(英語版)で開幕を迎えたが、1か月後にはルーキー級のグレートフォールズ・ジャイアンツ(英語版)に降格。異国での生活に慣れなかったこともあり成績は上がらず、2球団合計で70試合に出場して、打率.149、2本塁打という結果に終わった。