スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
内野 聖陽(うちの せいよう、1968年9月16日 - )は… 内野 聖陽(うちの せいよう、1968年9月16日 - )は、日本の俳優。神奈川県横浜市出身。本名読みは「うちの まさあき」で、2013年7月までは芸名としても使われていた。 実家は横浜市の曹洞宗寺院。世田谷学園高等学校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。大学在学中での初めての演劇は英語劇でプレイボーイな役を演じたが、これで一時期演じることが嫌になり裏方にまわっていた。1992年、在学中に文学座研究所に入所。同期に寺島しのぶがいる。翌年に研修科1年となり、研修中はドラマの端役などで修行を積む。実家の寺を継がないことで家族の反対にあったが俳優になる道を歩んだ。 1996年にはテレビドラマ『ふたりっ子』、1997年では『ミセスシンデレラ』に出演し、文学座の座員にもなる。
三谷 幸喜(みたに こうき、1961年〈昭和36年〉7月8日… 三谷 幸喜(みたに こうき、1961年〈昭和36年〉7月8日 - )は、日本の劇作家、脚本家、演出家、映画監督、俳優。 劇団「東京サンシャインボーイズ」主宰。シス・カンパニー所属。身長174 cm。 東京都世田谷区出身。父が好きだった大相撲力士・大鵬幸喜(当時は大関、後に横綱に昇進)にちなんで「幸喜」(こうき)と命名。両親は九州出身で、父は福岡市の中洲でクラブを数店舗経営していた実業家であった。家は裕福であったが、父は三谷が10歳の時に亡くなった。 小学生の頃、「ビバ!チャップリン」シリーズからチャールズ・チャップリンのファンになり、スイスにあった自宅前までチャップリンに会いに行ったことがある。
芦川 誠(あしかわ まこと、1960年4月19日 - )は、… 芦川 誠(あしかわ まこと、1960年4月19日 - )は、日本の俳優。本名、榎谷 誠(えのたに まこと)。 大阪府出身。駒澤大学出身。株式会社TAP所属。 かつて同じ事務所に所属した、北野武監督の作品に多く出演している。
萩原 流行(はぎわら ながれ、1953年〈昭和28年〉4月8… 萩原 流行(はぎわら ながれ、1953年〈昭和28年〉4月8日 - 2015年〈平成27年〉4月22日)は、日本の俳優、タレント、ダンサー。東京都世田谷区出身。妻は舞台女優の萩原まゆ美。 世田谷高等学校卒業。 舞台、テレビドラマを中心に、俳優として活躍した。 所属事務所は、劇団ザ・スーパーカムパニイ、玉川高島屋ソニー販売店での売り子のアルバイト、つかこうへい事務所、オーケープロダクションを経て、最終所属は個人事務所。 1986年に『蒲田行進曲』で映画デビュー。2000年代以降は役者活動だけでなく、バラエティ番組などにも出演していた。 2008年12月、自身の俳優としてのDNAを継承すべき場として萩原流行アクターズスタジオを開設。
辻 三太郎(つじ さんたろう、1937年8月4日 - )は、… 辻 三太郎(つじ さんたろう、1937年8月4日 - )は、日本の俳優、声優、お笑いタレント。本名、辻 茂。旧芸名は辻しげる、辻シゲル。東京都出身。
左 とん平(ひだり とんぺい、1937年〈昭和12年〉5月3… 左 とん平(ひだり とんぺい、1937年〈昭和12年〉5月30日 - 2018年〈平成30年〉2月24日)は、日本の俳優、歌手、タレント。東京市王子区(現・東京都北区)出身。しまだプロダクション所属。世田谷高校卒業。息子の肥田木隆広は主婦の友社で雑誌の編集長を務めた。 父親は逓信省の役人で、退官後は旅館業、飲食店などを手広く経営していた。高校卒業後、進学せずにブラブラしているのを見かねた父親から、新丸子にある寿司屋の経営を任せられる。 1957年、高校の同級生だった辻しげるらと劇団を結成。その後、三木鶏郎、永六輔、いずみたくらが在籍する冗談工房に入団する。当時のマネージャーは、のちに作家となる野坂昭如だった[信頼性要検証]。
美川 陽一郎(みかわ よういちろう、1918年3月2日 - … 美川 陽一郎(みかわ よういちろう、1918年3月2日 - 1976年6月2日)は、日本の俳優である。本名は三川 義一(みかわ よしかず)、旧芸名は美川 洋一郎。東京市生まれ。 世田谷中学(私立)を卒業後、義母との折り合いが悪く家出、17歳の時に榎本健一の付き人となったのが芸能界入りのきっかけである。1937年、19歳の時に新国劇に入団、当初から老け役を得意とし、『白野弁十郎』、『大菩薩峠』などに出演した。 終戦後の1952年、映画『次郎長三国志』(東宝、マキノ雅弘監督)の次郎長役に抜擢され、新国劇を退団するが、東宝の創業者・小林一三の意向で、次郎長役は小堀明男に決定したため、美川は端役に回された。