スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
荒川 琉正(あらかわ りゅうせい、2006年12月26日 -… 荒川 琉正(あらかわ りゅうせい、2006年12月26日 - )は、宮崎県出身の、日本の柔道選手。階級は73kg級。 坂本柔道塾に所属していた小学校5年の時に全国小学生学年別柔道大会45㎏級、6年の時には50㎏級で優勝した。足立学園中学3年の時に全国中学校柔道大会の73㎏級で5位になった。足立学園高校1年の時に全国高校選手権73㎏級で3位になると、2年の時には優勝した。世界カデでは個人戦で7位、団体戦で3位だった。3年の時にはインターハイで優勝すると、全日本ジュニアでは3位になった。2025年に國學院大學へ進学すると、世界ジュニアでは決勝でタジキスタンのムヒディン・アサドゥロエフに有効で敗れて2位だった。
小野 日向(おの ひなた、2004年5月10日 - )は、神… 小野 日向(おの ひなた、2004年5月10日 - )は、神奈川県出身の、日本の柔道選手。階級は66kg級。身長164cm。血液型はA型。組み手は左組み。得意技は一本背負投。 柔道は4歳の時に始めて、嶺心会と古賀塾で稽古を積んだ。足立学園中学3年の時に全国中学校柔道大会の60㎏級で優勝した。足立学園高校2年の時にインターハイで優勝するも、3年の時には3位だった。2023年に日体大へ進学すると、2年の時に全日本ジュニアの66㎏級で3位になった。講道館杯では決勝でパーク24の藤阪泰恒を技ありで破ってシニアの全国大会初優勝を飾った。グランドスラム・東京では準々決勝でモンゴルのヨンドンペレンレイ・バスフーに敗れるなどして5位だった。
武岡 毅(たけおか たけし、1999年6月5日 - )は、日… 武岡 毅(たけおか たけし、1999年6月5日 - )は、日本の柔道家。大阪府出身。階級は66kg級。身長169cm。組み手は右組み。血液型はA型。得意技は大外刈。 柔道は7歳の時にミキハウス柔道教室で始めた。小学校6年の時に全国小学生学年別柔道大会50kg級に出場するも初戦で敗れた。扇中学2年の時に全国中学校柔道大会50kg級の3回戦、3年の時には55kg級の2回戦でそれぞれ敗れた。足立学園高校へ進むと、1年の時には全国高校選手権の60kg級で5位になった。2年の時にはインターハイで優勝を果たした。3年の時にはインターハイの準決勝で習志野高校3年の市川龍之介に敗れて3位にとどまり2連覇はならなかった。
樋口 裕大(ひぐち ゆうた、1997年4月22日 - )は、… 樋口 裕大(ひぐち ゆうた、1997年4月22日 - )は、日本の柔道家。大阪府出身。階級は60kg級。身長161cm。段位は四段。組み手は右組み。血液型はB型。得意技は背負投。 柔道は6歳の時にミキハウス柔道教室で始めた。小学校6年の時には全国小学生学年別柔道大会の50kg級で5位になった。扇中学2年の時には全国中学校柔道大会50kg級で2位、3年の時に55kg級で2位になった。足立学園高校へ進むと、2年の時に全日本カデで優勝したが、アジアカデでは2位に終わった。3年の時には全日本ジュニアで優勝するも、アジアユースでは2位、世界ジュニアでは初戦で敗れた。2016年に天理大学へ進学すると、1年の時に全日本ジュニアの60kg級で2位になった。
藤阪 泰恒(ふじさか たいこう、1996年6月22日 - )… 藤阪 泰恒(ふじさか たいこう、1996年6月22日 - )は、日本の柔道家。大阪府出身。階級は66kg級。身長173cm。血液型はO型。組み手は右組み。段位は四段。得意技は大内刈。兄は66kg級の藤阪太郎。 柔道は5歳の時に明武館田邊道場で始めた。その後、臥牛館道場へ移った。小平第六中学から足立学園高校へ進むと、3年の時にはインターハイ60kg級で優勝した。講道館杯でも高校生ながら3位に入った。2015年には國學院大學へ進学すると、全日本ジュニアで2位となって、優勝した東海大学1年の永山竜樹とともに世界ジュニア代表に選ばれた。しかし、世界ジュニアでは2回戦で敗れた。2年の時には学生体重別の決勝で国士舘大学4年の林浩平に有効で敗れて2位だった。
藤澤 征憲(ふじさわ せいけん、1993年7月10日 - )… 藤澤 征憲(ふじさわ せいけん、1993年7月10日 - )は、岡山県出身の、日本の柔道選手である。階級は55kg級と60kg級。身長163cm。血液型はO型。組み手は右組み。得意技は背負投。 柔道は6歳の時に養徳館道場で始めた。小学校5年と6年の時に全国小学生学年別柔道大会に出場するも、ともに予選リーグで敗れた。津山西中学3年の時には全国中学校柔道大会55kg級で3位となった。足立学園高校へ進むと、1年の時には世界カデで5試合の内4試合に一本勝ちして優勝を飾った。2年の時には全日本ジュニアで3位だったが、世界ジュニア代表に選出された。世界ジュニアでは決勝まで進むが、カザフスタンのエルドス・スメトフに袖釣込腰で敗れて2位に終わった。
松木 武志(まつき たけし、1990年6月12日 - )は、… 松木 武志(まつき たけし、1990年6月12日 - )は、日本の柔道家。宮崎県出身。階級は60kg級。身長163cm。組み手は右組み。得意技は背負投。エル・エス・コーポレーション所属。 柔道は7歳の時に始めた。泰山学舎と朝飛道場の出身。五十市中学3年の時には全国中学校柔道大会55kg級で2位になった。足立学園高校へ進むと、3年の時にはインターハイと全日本ジュニアの60kg級で優勝した。 国士舘大学へ進学すると、1年の時には全日本ジュニアと講道館杯、ワールドカップ・トビリシでそれぞれ3位になった。2年の時には東アジア選手権の個人戦と団体戦で2位、体重別団体で3位だった。講道館杯の決勝では高校の1年先輩である日体大3年の山本浩史に敗れるが2位となった。
山本 浩史(やまもと ひろふみ、1990年3月25日 - )… 山本 浩史(やまもと ひろふみ、1990年3月25日 - )は、日本の柔道家。東京都出身。階級は60kg級。身長171cm。段位は四段。血液型はA型。得意技は内股。2016年より名城大学法学部助教。 柔道は8歳の時に始めた。足立学園中学3年の時に全国中学校柔道大会で2位になった。足立学園高校時代には3年の時にインターハイで2位となった。2008年に日本体育大学体育学部武道学科に進学すると、世界ジュニアで3位に入り、2年の時にはオール一本勝ちで優勝を果たした。また、シニアのグランドスラム・東京でも3位に入った。 3年の時には11月の講道館杯で初優勝を果たすと、続くグランドスラム・東京でも、決勝で大学の2年後輩である志々目徹に谷落で一本勝ちして優勝を飾った。
川上 智弘(かわかみ ともひろ、1990年1月31日 - )… 川上 智弘(かわかみ ともひろ、1990年1月31日 - )は、東京都出身の、日本の柔道選手である。階級は81 kg級。身長178 cm。組み手は左組み。得意技は小外刈。現在は國學院大學職員として柔道部のコーチを務めている。 柔道は6歳の時に墨田柔道塾で始めた。足立学園中学・高校時代は大きな実績はなかった。なお、この当時の同級生には60kg級で活躍する山本浩史がいた。國學院大學に進学すると、1年生にして学生体重別のチャンピオンとなった。2年の時には全日本ジュニアで優勝して、世界ジュニアでも3位となった。3年の時には講道館杯で3位となった。2011年には体重別に出場して決勝まで進むも、高松正裕に背負投で一本負けして2位に終わった。
須藤 英雄(すどう ひでお、1978年12月25日 - )は… 須藤 英雄(すどう ひでお、1978年12月25日 - )は、東京都出身の日本の柔道家。66kg級の選手。身長は168cm。 柔道は8歳の時に栄進館で始めた。足立第三中学から足立学園高校へ進むが、この当時大きな実績は残していない。なお、中学高校の1年先輩には寝技の名手で知られる小室宏二がいた。 1997年には山梨学院大学へ進学すると、4年の時には講道館杯66kg級で3位になった。 2001年にはダイコロの所属となると、実業個人選手権で優勝を飾った。2003年の実業個人選手権では60kg級から階級を上げてきたばかりである旭化成の内柴正人に決勝で敗れて2位だった。2004年からは実業個人選手権で2連覇を達成した。
小室 宏二(こむろ こうじ、1977年7月29日 - )は、… 小室 宏二(こむろ こうじ、1977年7月29日 - )は、日本の男性柔道家、ブラジリアン柔術家。東京都北区出身。身長163cm、体重70kg。RJJ(Real Japan Judo)所属、既婚。通称コムロック(komlock、5669とも)。 足立第三中、足立学園高等学校、筑波大学、同大学修士課程コーチ学専攻。講道館職員。2001年から2004年まで了徳寺学園に所属。2009年4月、講道館を退職し、東京都市大学付属中学校・高等学校の体育教諭を勤める。 袖車絞および自身の名前を冠したコムロックを得意技とする。 中井祐樹より柔術黒帯を授与されている。 2018年4月より早稲田実業学校(中・高等部)に勤務、同校柔道部監督に就任。
鏑木 文隆(かぶらぎ ふみたか、1965年12月13日 - … 鏑木 文隆(かぶらぎ ふみたか、1965年12月13日 - )は、千葉県出身の日本の柔道選手である。階級は78kg級。身長171cm。 足立学園高校から日本体育大学へ進むと、1年の時に正力杯78kg級で3位になったとされている。2年の時には正力杯で3位、正力国際では決勝で東海大学3年の松田亮一に判定で敗れて2位だった。3年の時には講道館杯の決勝で福岡大学教員の高野裕光に有効で敗れた。正力杯では優勝すると、正力国際でも決勝で松田を判定で破って優勝を飾った。また、フィンランド国際とブルガリア国際でも優勝した。4年の時には正力国際の決勝でソ連のバシール・ワラエフに判定で敗れた。1988年には慶應義塾高校の体育科教員になると、講道館杯で3位になった。