スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
纐纈 あや(はなぶさ あや、1974年 - )は、日本の映画… 纐纈 あや(はなぶさ あや、1974年 - )は、日本の映画監督。代表作はドキュメンタリー映画『ある精肉店のはなし』。 東京都出身。自由学園最高学部卒業。卒業後は半導体の商社にOLとして就職したが、給料をもらってプライベートを充実させるという働き方に疑問を持ち、3年勤めて退職した。これしかないと全力を注げるライフワーク、納得できる仕事を探していろいろな経験をした。2001年、本橋成一が主宰し、写真撮影、映画製作などを行うポレポレタイムス社に入社した。本橋が監督した映画「アレクセイと泉」(2002)、「ナミイと唄えば」(2006)の製作にかかわった。 2010年に初めて監督をしたドキュメンタリー映画「祝の島」(ほうりのしま)がシチリア環境映画祭(2012 SiciliAmbiente Film Festival)のドキュメンタリー部門で最優秀賞を受賞した。
蜷川 実花(にながわ みか、1972年10月18日 - )は… 蜷川 実花(にながわ みか、1972年10月18日 - )は、日本の女性写真家、映画監督。 クリエイティブ・ディレクターとしても活動し、美術、芸術、写真、映像、デザインなどのアートディレクションやインスタレーションを手掛ける。小山登美夫ギャラリーに所属し、芸能事務所はエイベックス・マネジメント・エージェンシーと提携している。 演出家・映画監督の蜷川幸雄と元女優でキルト作家の真山知子(蜷川宏子)夫妻の間に第一子として出生、妹が一人いるが一般人のため公表されていない。従姉は女優の蜷川有紀、蜷川みほ。曾祖父は俳優の谷崎十郎。 桐朋女子高等学校、多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン学科卒業、芸術学士号を授かる。
本橋 成一(もとはし せいいち、1940年4月3日 - 20… 本橋 成一(もとはし せいいち、1940年4月3日 - 2025年12月20日)は、日本の写真家、映画監督。東京都中野区生まれ。平和・協同ジャーナリスト基金の代表委員。 1960年代から写真家としての本格的な活動を始め、現在に至るまで炭鉱や魚河岸、上野駅、サーカス、屠場など市井の人々をテーマにした作品を数多く残している。 また1998年、チェルノブイリ原子力発電所事故の被災地で暮らす人々を撮影した『ナージャの村』を初監督、映画監督としてのキャリアをスタートさせる。 以降2002年『アレクセイと泉』、2006年『ナミイと唄えば』、2009年『バオバブの記憶』、2015年『アラヤシキの住人たち』と計5本の作品を監督。
羽仁 進(はに すすむ、1928年〈昭和3年〉10月10日 … 羽仁 進(はに すすむ、1928年〈昭和3年〉10月10日 - )は、日本の映画監督。父は歴史家で参議院議員を務めた羽仁五郎、母は婦人運動家の羽仁説子。母方の祖父母は自由学園創立者の羽仁吉一と羽仁もと子、父方の祖父は第四十銀行創立者の森宗作。妹に音楽教育家の羽仁協子。 祖母の羽仁もと子が創立した自由学園を1947年に卒業後、1年間の共同通信社記者生活を経て、1949年、岩波映画製作所の設立に加わる。最初は岩波写真文庫の編集などに携わり、1952年に厚生省(現・厚生労働省)がスポンサーとなった『生活と水』で監督デビューする。 1955年に公開された記録映画『教室の子供たち』は、授業中の子どもたちの姿をいきいきと活写し、教育映画祭最高賞を受賞するなど絶賛された。
羽田 澄子(はねだ すみこ、1926年1月3日 - )は、日… 羽田 澄子(はねだ すみこ、1926年1月3日 - )は、日本の映画監督。「世田谷・九条の会」呼びかけ人を務めている。 旧満州大連市生まれ。1942年旅順高等女学校卒業。満州から引き揚げ、自由学園女子部高等科卒業後、1950年に恩師羽仁説子の紹介で、岩波書店と資本関係のない関連会社岩波映画製作所に入社し、岩波写真文庫を編集に携わる。 映画シナリオを任され、映画『歯』のシナリオを描いた際に、助監督も試験的に担当。羽仁進監督の下で助監督を務めた後、1957年に『村の婦人学級』(岩波映画)で監督デビューを果たす。 1977年『薄墨の桜』を初めて4年間かけ自主製作する。岩波ホールで他3本と上映の際、総支配人高野悦子がドキュメンタリー映画商業上映での史上初の入場料を取り、無料の慣例を変える。