スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
法月 康平(のりづき こうへい、1990年6月18日 - )… 法月 康平(のりづき こうへい、1990年6月18日 - )は、日本の俳優。 東京都出身。東京都立紅葉川高等学校卒業。血液型B型。 2004年の芸能活動開始時からスターダストプロモーション芸能5部に所属していたが、2013年に芸能3部に転籍した。 役者になろうと思ったきっかけは、親が好きだったこともあって小さい頃から舞台やミュージカルが身近にあり、それから自然と観る側から演じる側になりたいと気持ちが変化した。 2011年、新生ROCK MUSICAL BLEACH REpriseのオーディションで、4500人の中から主役の黒崎一護役を勝ち抜いた。 2017年3月末にスターダストプロモーションを退所。
三次 由梨香(みつぎ ゆりか、1985年5月1日 - )は、… 三次 由梨香(みつぎ ゆりか、1985年5月1日 - )は、日本の実業家、政治家。あたらしい党所属の前江東区議会議員(3期)。日本水商売協会相談役。本名は音喜多 由梨香(おときた ゆりか) 。夫は元参議院議員の音喜多駿。 東京都出身、江東区育ち。江東区立東雲小学校、江東区立深川第五中学校、東京都立紅葉川高等学校卒業。 2008年、第一子の長女を出産後、離婚。当時の仕事を休職してシングルマザーとなった。 2013年、スリーネクスト株式会社代表。一般社団法人自分でつけるまつげエクステ協会認定校の東京都新橋校を開設し、自分でつけるまつげエクステの講師となる。会社経営、雑誌モデル、イベント主催、不動産仲介、有名芸能人との脱毛サロン運営等も行う。
遠藤 智夫(えんどう ともお、1948年4月7日 - )は、… 遠藤 智夫(えんどう ともお、1948年4月7日 - )は、英学者、文筆家。 東京都生まれ。早稲田大学第一文学部英文学専攻卒業。東京都立紅葉川高等学校、東京都立深川高等学校、東京都立豊多摩高等学校教諭、植木職・塾職・警備職・介護職などを経て工学院大学学習支援センター講師、日本英学史学会本部事務局長。「『英和対訳袖珍辞書』の遍歴」で日本英学史学会豊田実賞受賞。2009年「『英和対訳袖珍辞書』と近代語の成立-W.H. Medhurst『英漢字典』との訳語比較を中心に-」で関西大学文学博士。 アル中で死んだ兄・遠藤雄夫(1942年 - 2003年)を描いた『飲んべえが種まきゃ』で2007年新風舎出版賞ノンフィクション部門一次予選通過。
谷口 朱里(たにぐち しゅり、1941年11月29日 - )… 谷口 朱里(たにぐち しゅり、1941年11月29日 - )は、日本の女優、元ファッションモデルである。名の読みは「じゅり」「あかり」とする資料も存在する。本名は平沢 孝絵(ひらさわ たかえ)、初期芸名水原 リエ(みずはら リエ)。伊藤道郎のモデルクラブ「すみれモデルグループ」出身のモデルであり、若松孝二が製作、大和屋竺が監督した『裏切りの季節』に主演したことで知られる。奥野信太郎のエッセイ『女へんの話』に登場することでも知られる。のちに新劇女優に転向した。 1941年(昭和16年)11月29日、日本の第二次世界大戦参戦を目前とした時期、東京府東京市浅草区(現在の東京都台東区浅草地区)に生まれる。
椙山 拳一郎(すぎやま けんいちろう、1934年3月10日 … 椙山 拳一郎(すぎやま けんいちろう、1934年3月10日 - 2015年4月)は、日本の俳優である。本名は杉山 健一郎(読み同じ)、初期芸名は杉山 健(すぎやま けん)、杉山 拳一郎(本名と読み同じ)。「椙山挙一郎」は誤り。 1934年(昭和9年)3月10日、東京府東京市芝区新橋(現在の東京都港区新橋)に生まれる。 1949年(昭和24年)4月、当時日本橋兜町にあり、戦後男女共学になった東京都立紅葉川高等学校に入学、1952年(昭和27年)3月、同校を卒業、同年4月に明治大学法学部に進学する。同学在学中は演劇活動を行っていたが、健康上の理由で満21歳になる1955年(昭和30年)に同学を中途退学した。
田中 肇(たなか はじめ、1933年〈昭和8年〉3月18日 … 田中 肇(たなか はじめ、1933年〈昭和8年〉3月18日 - 2025年〈令和7年〉12月23日)は日本の植物研究者、貴金属細工職人。 最終学歴は東京都立紅葉川高等学校。 家業の貴金属細工の傍ら、花生態学の研究を行い、多くの著書、論文を残した。 1933年、指輪などの装飾品を作る貴金属細工職人の第一子、長男として東京に生まれる。学生の頃から植物に興味を持ち、高校を卒業し家業を継いだあとも、本職の傍ら植物の研究を進た。 英書『英国の野生の花と昆虫との関係』(1875) DOI:10.5962/bhl.title.1370 を読み日本の書籍を探したが、花生態学の書籍がほとんど無いことをきっかけに自ら観察を始めた。