スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
山本 吉光(やまもと よしてる、1954年4月26日 - )… 山本 吉光(やまもと よしてる、1954年4月26日 - )は、日本の元陸上競技選手。神奈川県相模原市緑区出身。東京農業大学卒業。 相模原市立北相中学校、神奈川県立相原高等学校、東京農業大学出身。 中学時代はバレーボール部に所属していたが、短距離走や走幅跳、三段跳などの大会に出場していた。 1年時の秋に長距離走に転向した。全国高等学校駅伝競走大会には3年連続で出場し、1年時は6区区間6位で初優勝に貢献した。 1年生で迎えた第50回箱根駅伝では3区を担当。1区で13位と出遅れたものの、2区を走った服部誠が史上初の12人抜きの快走を見せトップで襷を受ける。区間賞の走りで後続との差を広げ、大学史上初の往路優勝に貢献した。
服部 誠(はっとり まこと、1952年9月9日 - )は、日… 服部 誠(はっとり まこと、1952年9月9日 - )は、日本の元陸上競技選手。神奈川県横浜市出身。東京農業大学農学部卒業。同大学の教員を経て、現在は服部牧場のオーナーを務める。 横浜市立蒔田中学校、神奈川県立相原高等学校出身。 全国高等学校総合体育大会、国民体育大会の5000mで優勝。全国高校駅伝では1区で区間賞を獲得し、初優勝に貢献した。 多数の強豪校からスカウトの声がかかったが、実家の牧場を継ぐために東京農業大学に進学。東京農業大学は箱根駅伝から遠ざかっていたが1年時の予選会を突破し、7年ぶりの本戦出場を決めた。第48回箱根駅伝では2区を走り、1時間15分58秒で区間4位だった。 2年時の箱根駅伝予選会はトップで通過し、2年連続で本戦出場を決めた。
加山 俊夫(かやま としお、1945年(昭和20年)2月18… 加山 俊夫(かやま としお、1945年(昭和20年)2月18日 - )は、日本の政治家。前神奈川県相模原市長(3期)。 埼玉県北足立郡大和町(現和光市)生まれ。3歳の時に相模原町(当時)に転居した。相模原市立向陽小学校、相模原市立旭中学校卒業。1963年(昭和38年)3月、神奈川県立相原高等学校卒業。同年4月、相模原市役所に就職。1967年(昭和42年)3月、働きながら東京経済大学経済学部の夜間部を卒業した。相模原市都市整備部長、経済部長、消防長、都市部長を経て、2004年(平成16年)4月から相模原市助役に就任した。 2007年(平成19年)2月、小川勇夫相模原市長が体調を崩して入院し、市長を辞職する意向を表明。
相沢 菊太郎(あいざわ きくたろう、1866年5月28日(慶… 相沢 菊太郎(あいざわ きくたろう、1866年5月28日(慶応2年4月14日) - 1962年(昭和37年)4月26日)は、明治から大正期の日本の政治家、神奈川県高座郡相原村村長。 神奈川県高座郡相原村(現:相模原市相原)に生まれる。1908年(明治41年)より地元相原村の村長となり、横浜鉄道(現:JR横浜線)の橋本駅開設や相模農蚕学校(現:神奈川県立相原高等学校)の誘致に尽力した。 菊太郎は1885年(明治18年)から死の直前までの78年間に渡り日々の生活を記録した日記を残した。昭和時代になり、子の相沢栄久の編集により、1965年4月に「相澤日記」として明治18年から明治25年の記述が刊行された。