スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
藤田 ひかる(ふじた ひかる、1990年4月25日 - )は… 藤田 ひかる(ふじた ひかる、1990年4月25日 - )は、日本の政治家、外交官。自由民主党所属の衆議院議員(1期)。 神奈川県横浜市出身。信州で生まれ育った父と宮崎県出身の母のもとに生まれる。祖父母は中条村(現長野市中条)の中山間地域に住んで稲作とタバコ栽培に従事していたため、夏休みや冬休みは信州で過ごし、稲刈り等農作業の手伝いもした。 2014年に一橋大学社会学部を卒業。国家公務員採用総合職試験に合格し、同年外務省入省。大学時代は東南アジア、アフリカ、旧ユーゴスラビア諸国への一人旅や、ベトナム社会主義共和国の貧困地区での教育ボランティア、マレーシアやタイ王国での事業支援活動に従事した。 外務省に入省後は、中東アフリカ局アフリカ部アフリカ第二課や、北米局北米第二課、バラク・オバマの広島訪問準備チームに配属され、約10年間、経済外交、安全保障政策の立案等に取り組んだ。
久冨 慶子(ひさとみ けいこ、1988年6月27日 - )は… 久冨 慶子(ひさとみ けいこ、1988年6月27日 - )は、テレビ朝日アナウンサー。 神奈川県出身。藤沢市立大道小学校、横浜共立学園中学校・高等学校、青山学院大学社会情報学部卒業。高校時代はダンス部に所属していた。身長160.7 cm。 大学1年の時にミス&ミスター青山コンテストにエントリーし、ミス青山のグランプリに輝く。ミス青山時代には『週刊ヤングジャンプ』(集英社)の「ミスキャンYJシスターズ」のメンバーとして、『週刊ヤングジャンプ』のグラビアモデルとして登場した経験を持つ。なお、このメンバーの中には後にTBSアナウンサーになった古谷有美の姿もあった。その一方で、アナウンサーを目指してテレビ朝日アスクにて講座を受講していた。
蜂飼 耳(はちかい みみ、女性、1974年6月3日 - )は… 蜂飼 耳(はちかい みみ、女性、1974年6月3日 - )は、日本の詩人、エッセイスト、小説家。立教大学文学部教授。神奈川県出身、座間市在住。早稲田大学大学院文学研究科修士課程修了(上代文学専攻)。2009年度~2011年度、早稲田大学教育学部非常勤講師。2012年度~2014年度、早稲田大学文学学術院教授(任期付)。2017年度、法政大学文学研究科特任教授。2018年度~2019年度、國學院大學文学部非常勤講師。2020年より立教大学文学部教授。 第1詩集『いまにもうるおっていく陣地』(1999年)で注目される。丁寧に選ぶ言葉で透明感のある詩世界を構築。作品に詩集『食うものは食われる夜』(2005年)、『顔をあらう水』(2016年)、小説『紅水晶』(2007年)など。
細田 朋美(ほそだ ともみ、1971年6月30日 - )は、… 細田 朋美(ほそだ ともみ、1971年6月30日 - )は、日本の元競泳選手。神奈川県出身。1988年ソウルオリンピック日本代表。400m・800m自由形の元日本記録保持者。 横浜共立学園中学校・高等学校、専修大学出身。 1987年パンパシフィック水泳選手権の400m自由形・800m自由形で日本記録を更新してともに5位に入った ソウルオリンピック代表選考会の400m自由形で2位、800m自由形で優勝し、1988年ソウルオリンピック日本代表に選出された。1988年ソウルオリンピック本大会の800m自由形予選で日本新記録を樹立するが、予選敗退となった。この800mの日本記録8分39秒55は山野井絵理が破るまで9年間保持していた。
堀江 有里(ほりえ ゆり、1968年8月19日 - )は、日… 堀江 有里(ほりえ ゆり、1968年8月19日 - )は、日本の社会学者、神学者。日本基督教団牧師。立命館大学ほか非常勤講師。専門は社会学、クィア・スタディーズ。 京都府京都市東山区に生まれ、逗子市池子で育つ。横浜共立学園中学校・高等学校を経て、1991年同志社大学神学部卒業。1994年、同大学大学院修了(修士(神学))。2007年、大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程修了(博士(人間科学))。 自身がレズビアンであることからレズビアンの可視性を求め、フェミニスト神学との共闘を模索している。
若林 亜紀(わかばやし あき、1965年10月26日 - )… 若林 亜紀(わかばやし あき、1965年10月26日 - )は、日本のフリーランスライター。神奈川県出身。ペンネームは、当初は若林アキだったが、2005年に本名の若林亜紀に変更した。 横浜市立港南台第一小学校6年4組、横浜共立学園中学校・高等学校、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。在学中はメディア・コミュニケーション研究所で学ぶ。また、週刊朝日編集部にてアルバイトを経験。長谷工コーポレーションに就職。 その後、日本労働研究機構に転職。週刊誌(週刊朝日)への匿名での内部告発がきっかけとなり、2001年自主退職。2003年「ホージンノススメ-特殊法人職員の優雅で怠惰な生活日誌」(朝日新聞社)を刊行。お役所問題を自身の経験から取材し、雑誌に執筆。
計屋 珠江(はかりや たまえ、1953年9月19日 - )は… 計屋 珠江(はかりや たまえ、1953年9月19日 - )は、日本の女性政治家。神奈川県議会議員(6期)。
高田 敏子(たかだ としこ、1892年4月10日 - 197… 高田 敏子(たかだ としこ、1892年4月10日 - 1974年4月1日)は日本の女子教育および英語教育を先駆的に推進した教育者。静岡県田方郡三島町(現在の三島市)出身。名前の表記は「敏」の例もあるが、戸籍上の表記は「敏子」。高田常三郎と常子の娘として生まれる。大正から昭和初期に「高田女塾」、「高田女学校」を、戦後は「日本キリスト会川崎教会・高田英語学園」を設立して、女性や子供の英語教育に終生献身した。姉の坂本真琴は大正・昭和期に日本の婦人参政権運動に尽力したことで知られる。 高田家は三島の裕福な士族で、敏子の父常三郎は画家を志し(画号常斎)、なおかつキリスト教に入信するなど、明治という時代にあっては大変開明的な家庭環境にあった。
坂本 真琴(さかもと まこと、1889年5月7日 - 195… 坂本 真琴(さかもと まこと、1889年5月7日 - 1954年7月15日)は、大正から昭和初年にかけて婦人参政権運動を推し進めた婦人運動家。旧姓は高田。高田常三郎と妻みよのクリスチャンの家庭の長女として生れる。本名は「まこ」(正式には変体仮名を用いて「ま」と表記する)。妹の高田敏子は日本の女子・英語教育のパイオニア。 静岡県田方郡三島町(現在の三島市)出身。一家が神奈川県横浜に移住したため、共立女学校(現在の横浜共立学園)に学び、英文速記者になる。1911年(明治44年)頃、坂本勇吉(染料輸入販売業)と出会い同棲生活を開始、やがて長女出生。この年に発刊した雑誌『青鞜』(せいとう)創刊号の平塚らいてうの巻頭言「元始、女性は太陽であつた――青鞜発刊に際して」に感銘を受けた真琴は、1913年(大正2年)に青鞜社へ入社。
櫻井ちか(さくらい ちか、1855年5月19日(安政2年4月… 櫻井ちか(さくらい ちか、1855年5月19日(安政2年4月4日) - 1928年(昭和3年)12月19日)は、日本の教育者。櫻井女学校、櫻井女塾を設立して、日本における初期の女子教育を担った。なお、自著でちか子との表記も見られる。 1855年(安政2年)東京日本橋で生まれる。1872年(明治5年)海軍士官の櫻井昭悳(さくらいあきのり)と結婚。神田の芳英社、横浜の共立女学校で英語を学ぶ。洗礼を受け、キリスト教徒となる。その後、明悳もちかの影響を受けてキリスト教徒となる。 1876年(明治9年)日本人による初めてのキリスト教主義の女子学校として、桜井女学校を設立する。1879年(明治12年)同校は経営難に陥る一方で、ちかと昭悳夫婦は函館に赴任することとなった。
渡辺 カネ は、日本の開拓者、教育者。北海道開拓を目的とした… 渡辺 カネ は、日本の開拓者、教育者。北海道開拓を目的とした団体「晩成社」の一員として、北海道十勝地方・帯広の開墾に従事し、その傍らで私塾を開いて入植者の子どもたちに読み書きを教え、帯広の教育の基礎を築いた。晩成社としての開拓は成功したとはいえないが、開拓に伴ってカネが子どもたちに施した教育は、のちの十勝の住民に受け継がれ、十勝の発展の基盤となった。「帯広教育の母」「女性入植者のさきがけ」「十勝開拓の母」とも呼ばれる。北海道の先住民族であるアイヌたちと親交を深めたことでも知られる。夫は晩成社三幹部の1人である渡辺勝、兄は同じく晩成社三幹部の1人である鈴木銃太郎。
柳 美里 は、在日韓国人の劇作家、小説家である。韓国籍を持つ… 柳 美里 は、在日韓国人の劇作家、小説家である。韓国籍を持つ。劇団「青春五月党」主宰。