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木原 慧登(きはら けいと、2005年5月11日 - )は、… 木原 慧登(きはら けいと、2005年5月11日 - )は、広島県出身の、日本の柔道選手。階級は73kg級。身長170cm。血液型はA型。組み手は左組み。得意技は大内刈。 柔道は5歳の時に有朋柔道塾で始めた。小学校5年の時に全国小学生学年別柔道大会の45kg超級で3位になった。6年の時には全国小学生学年別柔道大会の50kg超級で優勝した。東海大相模中学1年の時に近代柔道杯で1年先輩の服部辰成などともに活躍して2位になった。2年の時に全国中学校柔道大会個人戦73kg級で優勝すると、団体戦でも2位になった。マルちゃん杯では3位だった。東海大相模高校へ進学すると、インターハイでは決勝で大牟田高校2年の竹市裕亮を破って、1年生ながら優勝を果たした。
小原 拳哉(こはら けんや、1994年8月29日 - )は、… 小原 拳哉(こはら けんや、1994年8月29日 - )は、日本の柔道家。東京都出身。階級は81kg級。身長176cm。血液型はO型。段位は四段。組み手は左組み。得意技は大外刈。 柔道は10歳の時に講道館にある春日柔道クラブで始めた。同期には後にリオデジャネイロオリンピック金メダリストとなるベイカー茉秋がいた。文京区立第一中学から東海大相模高校に進学すると、高校選手権では2年の時に81kg級で優勝を飾った。団体戦では3位に終わった。3年になると、インターハイでも優勝を果たした。全日本ジュニアでは決勝で筑波大学1年の永瀬貴規にGSに入ってから技ありを取られて2位に終わった。続く講道館杯では準々決勝で國學院大學職員の川上智弘を破るなどして、高校生ながら3位となった。
髙藤 直寿(たかとう なおひさ、1993年〈平成5年〉5月3… 髙藤 直寿(たかとう なおひさ、1993年〈平成5年〉5月30日 - )は、日本の柔道家。栃木県下野市出身。組み手は左組み。得意技は小内刈、巴投げ、肩車。2021年開催の東京オリンピック柔道男子60kg級金メダリスト。 埼玉県蓮田市に生まれ、4歳から栃木県下野市で育つ。7歳の時に柔道を始めた。小学校3年からは66kg級世界チャンピオンの海老沼匡も在籍していた野木町柔道クラブの所属となった。小学校5年の時にはその年に新設された全国小学生学年別柔道大会40kg級の初代チャンピオンとなった。翌年はこの大会の45kg級で優勝して2連覇を達成した。東海大相模中学3年の時には全国中学校柔道大会で優勝した。東海大相模高校1年の時には16歳以下の世界一を決める大会である世界カデに出場して優勝した。
髙藤 直寿(たかとう なおひさ、1993年5月30日 - )… 髙藤 直寿(たかとう なおひさ、1993年5月30日 - )は、栃木県下野市出身の、日本の柔道選手である。階級は60kg級。身長160cm。血液型はAB型。組み手は左組み。段位は四段。得意技は小内刈、巴投げ、肩車。現在はパーク24に所属している。
橋本 壮市(はしもと そういち、1991年8月24日 - )… 橋本 壮市(はしもと そういち、1991年8月24日 - )は、日本の柔道家。静岡県浜松市出身。階級は73kg級。身長170cm。段位は五段。パリオリンピック柔道男子73kg級銅メダリスト。得意技は「橋本スペシャル」と称される変形の袖釣込腰、一本背負投。現在はパーク24に所属。座右の銘は広壮豪宕。 柔道は6歳の時に地元浜松市の育誠館道場で始めた。 東海大相模中学2年の時に全国中学校柔道大会66kg級で3位になると、3年の時には73kg級で2位になった。 東海大相模高校3年になると、金鷲旗とインターハイでは同級生の羽賀龍之介や藤井岳、2年の王子谷剛志らとともに優勝に貢献して、1987年の世田谷学園高校以来、史上2校目の2年連続高校3冠を達成した。
藤井 岳(ふじい がく、1991年5月30日 - )は、東京… 藤井 岳(ふじい がく、1991年5月30日 - )は、東京都青梅市出身の日本の柔道選手である。階級は100kg超級。身長182cm。体重117kg。血液型はO型。段位は四段。組み手は左組み。得意技は体落。現在はパーク24に所属。さらに、SFC大学院にも在学している。 柔道は7歳の時に吉野柔道教室で始めた。桐朋中学入学後は大門柔道教室に入門して、3年の時には全国中学校柔道大会90kg超級で2位になった。国立大学への進学も視野に入れていたが、柔道に人生をかけるとして東海大相模高校に進む道を選択した。1年の時には早くも金鷲旗の優勝に1年先輩の高木海帆や同級生の羽賀龍之介らとともに貢献することになった。
羽賀 龍之介(はが りゅうのすけ、1991年4月28日 - … 羽賀 龍之介(はが りゅうのすけ、1991年4月28日 - )は、宮崎県延岡市出身の日本の元柔道家。階級は100kg級。身長186cm。血液型はO型。段位は五段。組み手は左組み。得意技は内股。現在は旭化成に所属している。父親は講道館杯などで優勝経験のある羽賀善夫。母親は国体やインターハイで活躍した元競泳選手。 幼少時に埼玉県に越すと、2歳年上の兄である善之介とともに5歳の時に柔道を始めた。当時は競泳も習っていて、自由形で県大会で2位になったこともあった。 小学校3年の時に横浜市に移ると、朝飛道場に所属して柔道に専念することになった。小学校6年の時には全国少年柔道大会の団体戦で3位になった。六角橋中学3年の時に全国中学校柔道大会90kg級で3位になった。
高木 海帆(たかぎ かいはん、1990年10月15日 - )… 高木 海帆(たかぎ かいはん、1990年10月15日 - )は、オーストラリアの柔道選手である。階級は100 kg級。身長182 cm。現在はJRAに所属している。得意技は大内刈、寝技。2016年までは全柔連の強化指定選手で、世界選手権では2度日本代表を務めたこともあった。2018年に国籍を変えて、カイハン・オズチチェク=タカギ(Kayhan Özçiçek-TAKAGI)という名でオーストラリア代表となった。 神奈川県川崎市麻生区で育った。トルコ人の父親を持つハーフで、名前の「海帆(かいはん)」はトルコの神様から取ったもの。 オーストラリアのシドニーで出生、柔道連盟のプロフィールにはオーストラリア出身と書かれている資料も多数ある。
吉田 優也(よしだ ゆうや、1989年4月28日 - )は、… 吉田 優也(よしだ ゆうや、1989年4月28日 - )は、東京都出身の日本の柔道選手。階級は90 kg級。身長は171 cm。血液型はA型。段位は四段。組み手は右組み。得意技は大内刈、大外刈、背負投、内股。現在は旭化成に所属。 柔道は5歳の時に鈴木道場で始めた。東海大相模中学3年の時には全国中学校柔道大会 90kg級で優勝を果たした。東海大相模高校2年の時には全国高校選手権の決勝で国士舘高校と対戦すると、重量級の百瀬優に一本勝ちしてチームを優勝に導いた。3年の時には金鷲旗でも優勝を飾った。インターハイの団体戦では準決勝で百瀬に敗れてチームも3位にとどまり、高校3冠(全国高校選手権、金鷲旗、インターハイ)はならなかった。
平井 希(ひらい のぞみ、1986年9月19日 - )は、静… 平井 希(ひらい のぞみ、1986年9月19日 - )は、静岡県出身の日本の柔道家。57kg級の選手。身長164cm。組み手は左組み。段位は弐段。得意技は小内刈。現在は自衛隊体育学校に所属する陸上自衛官(2等陸曹)。 柔道は6歳の時に始めた。中学になると神奈川県相模原市にある相武館吉田道場に入門して寮生活を送ることになった(この道場の3年後輩には中村美里もいた)。相原中学2年の時に出場した全国中学校柔道大会の個人戦57kg級では2位に終わったものの、団体戦ではチームの優勝に貢献した。3年の時には団体戦は5位だったものの、個人戦では63kg級に階級を上げて優勝を果たした。その後、東海大相模高校に進学するが、女子部員が他にいなかったためよく東海大学へ出稽古に通っていた。
大束 正彦(おおつか まさひこ、1986年2月26日 -)は… 大束 正彦(おおつか まさひこ、1986年2月26日 -)は、宮崎県出身の日本の柔道家。73kg級の選手。身長168cm。組み手は右組み。段位は参段。得意技は背負投。2011年には正彦を匡彦と改めた。 柔道は7歳の時に始めた。高原中学2年の時に全国中学校柔道大会65kg級で3位になると、3年の時には73kg級で優勝を飾った。2001年に東海大相模高校へ進学すると、1年の時に全国高校選手権団体戦で2位となった。2年の全国高校選手権では3位だった。3年の時にはインターハイで優勝を飾った。 2004年には東海大学へ進むと、1年の時には全日本ジュニアで優勝した。世界ジュニアでは準決勝で韓国の金宰範に指導1で敗れて3位にとどまった。
竹谷 知記(たけや ともき、1985年5月15日 - )は、… 竹谷 知記(たけや ともき、1985年5月15日 - )は、青森県出身の日本の柔道家。100kg級の選手。身長は179cm。組み手は右組み。得意技は大内刈、大外刈。 柔道は7歳の時に修志館で始めた。五所川原第一中学から東海大相模高校へ進むと、1年の時に高校選手権の団体戦で2位、2年の時には3位だった。3年の時には金鷲旗で3位、インターハイの100kg級では決勝で国士舘高校の西山将士に敗れて2位だった。全日本ジュニアでは3位となった。アジアジュニアと青島国際ではそれぞれ2位だった。 2004年に東海大学へ進学すると、1年の時には全日本ジュニアで再び3位となった。2年の時には体重別団体で優勝した。3年の時には優勝大会と体重別団体でともに2位にとどまった。
駒木 奈緒美(こまき なおみ、1983年11月4日 - )は… 駒木 奈緒美(こまき なおみ、1983年11月4日 - )は、神奈川県出身の日本の柔道家。78kg超級の選手。現役時代の身長は165cm。体重92kg。組み手は右組み。得意技は大内刈。 柔道は相原中学に入学してから相武館吉田道場で始めた。3年の時には早くも全国中学校柔道大会の56kg超級で3位になった。東海大相模高校へ進むと、1年の時には高校選手権の78kg超級決勝で夙川学院高校2年の上田真央に敗れて2位だったが、2年の時には決勝で汎愛高校1年の杉本美香を破って優勝した。3年の時には全日本ジュニアの78kg級に出場して3位となった。 2002年に東海大学へ進学すると、1年の時には優勝大会で2位となった。
中野 竜(なかの りゅう、1983年1月2日 -)は、セルビ… 中野 竜(なかの りゅう、1983年1月2日 -)は、セルビアの柔道選手。神奈川県横浜市出身。階級は100kg級。身長は183cm。別名はリュウ・ミヤルコヴィッチないしはミヤルコヴィッチ・リュウ(Rju Mijalkovic)。 父親はユーゴスラビア出身で、柔道のヨーロッパ選手権で5位になったこともある。1960年代に柔道を学びに来日した。その後帰化して「中野由自」と言う名前を持つと、実業家としてワインの輸入などを手がけるとともに、「イタリアンハウスカフェ&バー」と言う店を構えるに至った。竜本人は3歳年上である兄の大に影響されて7歳の時に大竹道場で柔道を始めた。その後、朝飛道場に移った。なお、小学生時代は柔道以外にバスケットボールにも取り組んでいた。
谷口 徹(たにぐち とおる、1982年10月24日 - )は… 谷口 徹(たにぐち とおる、1982年10月24日 - )は、神奈川県出身の日本の柔道家。現役時代は81kg級の選手。身長は179cm。得意技は小内刈り。 柔道は3歳の時に父親の譲が指導者を務めていた朝飛道場で始めた。1997年横須賀学院中学3年の時に全国中学校柔道大会の78kg級決勝で港南中学3年の仲田直樹と対戦するが、頭から畳に突っ込んで内股を仕掛けたため、規定により反則負けを喫した。同年の全日本選抜少年柔道大会個人戦無差別では中量級ながら優勝を飾った。 1998年東海大相模高校1年の時にはインターハイ団体戦の決勝で国士舘高校と対戦すると、大将戦で反則負けを喫して2-2と並んだ。代表戦では2歳年上の兄である望が鈴木桂治に払巻込の技ありで敗れて、チームは2位にとどまった。
井上 康生(いのうえ こうせい、1978年〈昭和53年〉5月… 井上 康生(いのうえ こうせい、1978年〈昭和53年〉5月15日 - )は、宮崎県宮崎市出身の日本の柔道家(七段)、柔道指導者。東海大学教授。 妻はタレントの東原亜希。 2000年(平成12年)のシドニーオリンピックで金メダルを獲得。2001年(平成13年)の全日本選手権では絶対的エースであった篠原信一を決勝で破り初優勝。その後、大会3連覇を果たす。 2004年(平成16年)のアテネオリンピックでは日本選手団の主将に選ばれた。周囲からはシドニー大会に次ぐ五輪二連覇を期待されたが、準々決勝でオランダのエルコ・ファンデルヘーストに背負投で一本負けを喫した。敗者復活戦に回るも、三回戦でアゼルバイジャンのモブルド・ミラリエフに大内刈を返されて一本負け。
藤田 博臣(ふじた ひろおみ、1976年2月23日 - )は… 藤田 博臣(ふじた ひろおみ、1976年2月23日 - )は、青森県五所川原市出身の日本の柔道家。現役時代は86kg級の選手。身長185cm。得意技は浮落、内股、大外刈。 柔道は父親の勧めで五所川原第三中学に入ってから始めた。 中学3年の時に全国中学校柔道大会78kg級で2位となった。東海大相模高校に進むと、1年の全国高校選手権では2位だったが、2年の時には優勝を飾った。 3年のインターハイ団体戦では優勝したが、個人戦中量級では5位にとどまった。 全日本ジュニアでは優勝を飾った。 東海大学に進むと、1年の時に世界ジュニアに出場するが、5位に終わった。 その後ケガなどもあってスランプに陥り、一時は柔道への情熱も失いかけたが、総監督の佐藤宣践による気遣いなどもあって立ち直ると、3年の時には正力杯で中央大学の近藤秀作を浮落で破って優勝し、全日本学生柔道優勝大会でも優勝した。
上水 研一朗(あげみず けんいちろう、1974年6月7日 -… 上水 研一朗(あげみず けんいちろう、1974年6月7日 -)は、日本の柔道家。現役時代は95kg超級の選手。現役時代は身長183cm。体重125kg。得意技は内股、大内刈、体落。2025年現在、東海大学体育学部武道学科教授。さらに男子柔道部監督も務めている。 熊本県出身。柔道は小学校5年の時に始めた。父親が柔道部監督を務めていた八代第三中学3年の時には全国中学校柔道大会78kg超級で2位になった。 東海大学付属相模高校に進学。高校1年の時に全国高校選手権団体戦で2位。高校2年の時は金鷲旗で優勝を飾った。全国高校選手権では個人戦決勝で天理高校1年の牧野貴仁に判定で敗れると、団体戦でも2位に終わった。
窪田 茂(くぼた しげる、1973年6月11日 - )は、静… 窪田 茂(くぼた しげる、1973年6月11日 - )は、静岡県富士市出身の日本の柔道家。現役時代は100kg級の選手。身長187cm。得意技は内股。 柔道は小学校4年生の時に始めた。中学には柔道部がなかったのでバスケットボール部に所属していた。3年の時に全国中学校柔道大会に出場するが、上位には進めなかった。東海大相模高校に進むと、1年の全国高校選手権団体戦では2位になった。2年の時には金鷲旗決勝の大将戦で世田谷学園高校エースの田辺勝を合技で破ってチームを優勝に導いた。インターハイ団体戦でも優勝を飾った。全国高校選手権個人戦無差別では、準決勝で71kg級の選手である東海大第五高校の中村兼三を技ありで破ると、決勝でも沖縄尚学高校の真喜志慶治を判定で破って優勝するが、団体戦では決勝で沖縄尚学高校と対戦すると、真喜志に判定で敗れてチームも2位に終わった。
松本 勇治(まつもと ゆうじ、1973年3月6日 - )は、… 松本 勇治(まつもと ゆうじ、1973年3月6日 - )は、神奈川県出身の日本の柔道家。現役時代は86kg級及び90kg級の選手。身長は174cm。 上菅田中学から東海大相模高校へ進むと、1年の時に全国高校選手権の団体戦で3位になった。2年の時には決勝で世田谷学園高校に敗れて2位だった。3年の時には金鷲旗で優勝すると、インターハイでは個人戦の軽重量級と団体戦でも優勝して2冠を達成した。 1991年には東海大学へ進学すると、2年の時には全日本ジュニアの86kg級で優勝を飾った。4年の時には講道館杯の決勝で、大学の2年先輩となる世界チャンピオンの中村佳央に敗れるも2位となった。優勝大会では3位だった。
原口 力也(はらぐち りきや、1971年7月8日 - )は、… 原口 力也(はらぐち りきや、1971年7月8日 - )は、日本の柔道整復師、教育者、研究者。 神奈川県相模原市南区出身。父が道場を開いていた影響から、幼少時代より柔道を始めた。父も柔道整復師で、地元である相模原市に原口整骨院を開院していた。 東海大学付属相模高等高校を経て、帝京医学技術専門学校を卒業し、1993年に柔道整復師免許を取得した。帝京平成大学大学院健康科学研究科健康科学専攻博士課程にて単位取得後満期退学した。学位は情報学修士。 帝京平成大学大学院健康科学研究科、帝京平成大学ヒューマンケア学部柔道整復学科准教授となる。
山田 利彦(やまだ としひこ、1970年4月16日 - )は… 山田 利彦(やまだ としひこ、1970年4月16日 - )は、日本の柔道家。95kg超級の選手。現役時代は身長183cm。体重125kg。了徳寺大学教授。また、了徳寺学園の柔道部監督も務めている。 岡山県出身。東海大相模高校時代には団体戦で活躍して、1年と2年の時に全国高校選手権で3位、金鷲旗では2年と3年の時に2位、インターハイは1年と3年の時に3位、2年の時に2位となったものの、全国優勝までには至らなかった。しかし、インターハイ個人戦の重量級では3年の時に優勝している。さらに、新人体重別でも優勝を果たした。 東海大学に進学すると、1年と2年の時に優勝大会で優勝した。また、1年の時には早くも全日本選手権に出場を果たすものの、初戦で綜合警備保障の金野潤に敗れた。
森山 孝臣(もりやま たかおみ、1964年5月30日 - )… 森山 孝臣(もりやま たかおみ、1964年5月30日 - )は、神奈川県出身の日本の柔道家。71kg級の選手。身長172cm。 東海大相模高校2年の時にインターハイ団体戦で優勝を飾った。3年の時には高校選手権の団体戦決勝で旭川龍谷高校に敗れて2位だった。 東海大学1年と2年の時に新人体重別71kg級で3位になった。3年の時には正力杯で3位となった。 1987年に神奈川県警の所属となると、1989年の講道館杯では3位だった。1990年の講道館杯では決勝で世界チャンピオンである日体大大学院の古賀稔彦に袖釣込腰の技ありで敗れた。体重別では3位だった。1992年の全国警察柔道選手権大会では軽量級で2位になった。
樋川 純(といかわ じゅん、1963年7月12日 - )は、… 樋川 純(といかわ じゅん、1963年7月12日 - )は、神奈川県出身の、日本の柔道選手である。階級は95kg超級。現役時代は身長180cm。体重120kg。 東海大相模高校3年の時にインターハイ団体戦で優勝した。新人体重別95kg超級では3位になった。1982年に東海大学へ入学すると、1年の時には新人体重別で3位だった。2年の時には正力杯で3位だったが、新人体重別では近畿大学2年の岡田龍司を破って優勝した。正力国際の団体戦では決勝のソ連戦で勝利したものの、チームは敗れて2位だった。3年の時には優勝大会の3連覇に貢献して優勝選手に選ばれた。正力国際の団体戦では決勝のソ連戦で敗れたものの、チームは優勝を飾った。
山下 泰裕(やました やすひろ、1957年〈昭和32年〉6月… 山下 泰裕(やました やすひろ、1957年〈昭和32年〉6月1日 - )は、日本の柔道家、体育学者。学位は体育学修士(東海大学大学院・1983年) 。第5代日本オリンピック委員会(JOC)会長。東海大学体育学部武道学科 教授(1996年 - )、体育学部 学部長(2009年4月 - )、副学長(スポーツ・一貫教育担当)(2011年10月 - )。 「日本柔道界最強の男」と称された実力者であった。 熊本県上益城郡矢部町(後の 山都町)出身。東海大学柔道部監督。柔道指導員、全日本柔道連盟名誉会長、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会副会長、日本オリンピアンズ協会理事。 過去に、全日本柔道男子強化ヘッドコーチ(1992年 - 2000年)、男子強化部長(2000年 - 2004年)、強化副委員長(2004年 - 2008年)、理事・副会長・強化委員長(2013年 - 2017年)、国際柔道連盟教育コーチング理事(2003年 - 2007年)、神奈川県体育協会会長、朝日新聞社嘱託社員(1986年 - 2017年)、日本オリンピック委員会 (JOC) 会長(2019年 - 2025年)などを歴任。