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大津 俊哉(おおつ としや、1965年〈昭和40年〉1月22… 大津 俊哉(おおつ としや、1965年〈昭和40年〉1月22日 - )は、日本の財務官僚。国立印刷局理事長(第7代)。 理財局次長(理財担当)等を歴任した。 新潟県出身。新潟県立新潟高等学校を経て、東京大学経済学部卒業。1989年 大蔵省に入省し、理財局国債課に配属される。1995年7月10日 古河税務署長。2003年 財務省理財局財政投融資総括課長補佐兼理財局計画官補佐(内閣・財務係)。理財局総務課長補佐兼財務総合政策研究所研究部国際交流室国際交流官などを経て、2007年7月13日 大臣官房企画官兼主税局参事官付。2009年7月14日 金融庁総務企画局企業開示課企画官兼総務企画局市場課市場業務管理官。
花角 英世(はなずみ ひでよ、1958年〈昭和33年〉5月2… 花角 英世(はなずみ ひでよ、1958年〈昭和33年〉5月22日 - )は、日本の政治家、元運輸・国交官僚。新潟県知事(公選第21・22代)。無所属。 新潟県佐渡郡金井町(現・佐渡市金井)出身。幼少期はベトナム戦争の様子をテレビで目の当りにした影響で、当時の夢はジャーナリストだった。父が転勤族だったために小学校を3回転校しており、10歳から新潟市で過ごし、新潟大学教育学部附属新潟中学校、新潟県立新潟高等学校へ進んだ。 新潟県立新潟高等学校卒業後、1977年4月に東京大学法学部第1類(私法コース)に進学。弁護士を目指し、旧司法試験を受験するも不合格となり、東京大学卒業後の1982年4月に運輸省(当時)に入省。
木下 康司(きのした やすし、1957年〈昭和32年〉3月2… 木下 康司(きのした やすし、1957年〈昭和32年〉3月28日 - )は、日本の財務官僚。第10代財務事務次官。2015年に日本政策投資銀行代表取締役副社長に就任。2018年には同社代表取締役会長に就任し現在に至る。 新潟県新潟市出身。新潟大学医学部教授・木下康民(鳥取県出身)の二男。 新潟県立新潟高等学校から東京大学文科一類に入学。東京大学法学部第2類(公法コース)を卒業。東大在学時は2年の後半から公務員試験や司法試験を目指すグループに入り勉強していた。東大卒業後の1979年(昭和54年)4月、大蔵省(現財務省)に入省。配属先は主計局総務課企画係。 1999年(平成11年)、主計局主計官に就任し、運輸省と郵政省を担当。
佐藤 信秋(さとう のぶあき、1947年〈昭和22年〉11月… 佐藤 信秋(さとう のぶあき、1947年〈昭和22年〉11月8日 - )は、日本の政治家、建設・国土交通官僚(技官)。自由民主党新潟県支部連合会会長。 参議院議員(3期)、参議院決算委員長、同財政金融委員長、同地方創生及び消費者問題に関する特別委員長、同行政監視委員長、同環境委員長、第6代国土交通事務次官、技監、国土交通省道路局長、自由民主党国土強靭化推進本部長などを務めた。学位は工学修士(京都大学・1972年)。 新潟県新潟市出身。1966年、新潟県立新潟高等学校卒業。1970年、京都大学工学部土木工学科卒業。1972年、京都大学大学院工学研究科土木工学専攻修士課程修了。修士論文ではinteger programming(整数計画問題)を扱った。
栗林 貞一(くりばやし ていいち、1933年〈昭和8年〉1月… 栗林 貞一(くりばやし ていいち、1933年〈昭和8年〉1月10日 - 2016年〈平成28年〉3月2日)は、日本の運輸官僚。第26代海上保安庁長官。 新潟県新潟市出身。1951年(昭和26年)3月に新潟高等学校を卒業、1955年(昭和30年)3月に東京大学法学部を卒業、4月に運輸省に入省、鉄道監督局総務課に勤務。 1981年(昭和56年)に運輸省航空局飛行場部長に就任、航空局次長、貨物流通局長を歴任、1985年(昭和60年)に運輸政策局長に就任、1986年(昭和61年)に第26代海上保安庁長官に就任。 1989年(平成元年)に日本航空に入社、常務取締役、専務取締役を歴任、1993年(平成5年)に副社長に就任、1997年(平成9年)に日本アジア航空代表取締役会長に就任、2001年(平成13年)に特別顧問に就任。
丸山 弘志(まるやま ひろし、1924年(大正13年)7月1… 丸山 弘志(まるやま ひろし、1924年(大正13年)7月15日 - 2007年(平成19年)10月10日)は、日本の運輸官僚、超電導リニア研究者、鉄道技術者、鉄道工学者、交通工学者、安全工学者、生産工学者、機械工学者、精密工学者、工学博士。元日本国有鉄道鉄道技術研究所所長、元科学技術庁参与、元文部科学省参与、元材料技術研究協会理事、元研友社顧問、元日本規格協会評議員、日本機械学会名誉員、東京理科大学名誉教授。弟の桑名昭治は桑名病院2代目院長。
君 健男(きみ たけお、1911年〈明治44年〉12月22日… 君 健男(きみ たけお、1911年〈明治44年〉12月22日 - 1989年〈平成元年〉4月20日)は日本の医師、官僚、政治家。参議院議員(1期)、新潟県知事(公選第9・10・11・12代)。医学博士。 1911年(明治44年)12月22日、君修一郎の長男として新潟市に出生。新潟県立新潟中学校を経て官立新潟高等学校を卒業。1936年(昭和11年)3月、官立新潟医科大学(現・新潟大学医学部)を卒業。同年11月、応召。 1940年(昭和15年)、栃尾町の栃尾郷立診療所組合(現・新潟県厚生農業協同組合連合会栃尾郷病院)内科部長に就任。東京の日本光学病院内科主任を経て、再度応召。 1947年(昭和22年)、新潟県庁に入庁し、1949年(昭和24年)に新潟県予防課長、1955年(昭和30年)に新潟県公衆衛生課長、1958年(昭和33年)に新潟県衛生部長を経て、1962年(昭和37年)に新潟県総務部長となる。
小船井 敬吉(おぶない けいきち、1887年〈明治20年〉4… 小船井 敬吉(おぶない けいきち、1887年〈明治20年〉4月8日 - 1971年〈昭和46年〉9月17日)は、日本の逓信官僚、通信技術者、通信工学者。電気通信工学校初代校長、東海大学短期大学部初代学長。 新潟県北魚沼郡小千谷町(現 小千谷市)の測量師・小船井理吉の次男として出生。 1905年(明治38年)3月に新潟中学校を卒業、1908年(明治41年)7月に第一高等学校を卒業、1911年(明治44年)7月に東京帝国大学工科大学電気工学科を卒業。 1911年(明治44年)7月に逓信省に技手として入省、通信局工務課に勤務、逓信官吏練習所教官を兼任、1913年(大正2年)7月に技師に任官、引き続いて通信局工務課に勤務、逓信官吏練習所教官を兼任、1914年(大正3年)9月から西部逓信局に勤務、名古屋郵便局電話課長に就任、1918年(大正7年)1月に北部逓信局工務部線路課長および電力課長に就任、1919年(大正8年)5月に仙台逓信局電気課長に就任、1920年(大正9年)5月から大阪逓信局に勤務、大阪中央電話局交換課長に就任、10月に大阪中央電話局監査課長に就任、1921年(大正10年)9月から臨時電信電話建設局大阪出張所に勤務、1922年(大正11年)8月に臨時電信電話建設局大阪出張所機械課長に就任、1923年(大正12年)7月に京都帝国大学工学部講師に就任、1924年(大正13年)11月に熊本逓信局工務課長および臨時電信電話建設局熊本出張所技術長に就任、1926年(大正15年)5月からアメリカおよびイギリスに出張、1927年(昭和2年)3月に名古屋逓信局工務課長に就任、1930年(昭和5年)5月に大阪逓信局工務課長に就任、1933年(昭和8年)9月に逓信省工務局電話課長に就任、1934年(昭和9年)6月に逓信省工務局線路課長に就任、1936年(昭和11年)2月に逓信省を依願退官。
青木 得三 (あおき とくぞう、1885年2月26日 - 1… 青木 得三 (あおき とくぞう、1885年2月26日 - 1968年7月31日) は、日本の大蔵官僚・経済学者。専門は財政学。経済学博士(1957年)。秋田県南秋田郡秋田町(現・秋田市)生まれ、東京帝国大学法科大学首席卒業。 1885年(明治18年)2月26日 (戸籍上は3月26日)、秋田県南秋田郡秋田町中島中丁にて出生。父青木定謙は角館町出身の官吏で、少年時代は父の転勤に伴って転居を繰り返した。旧制和歌山中学(現 和歌山県立桐蔭中学校・高等学校)から旧制新潟中学校(現 新潟県立新潟高等学校)に転入し、 旧制第一高等学校(旧制一高)を経て1909年(明治42年)東京帝国大学法科大学を首席で卒業した。
熊木 捨治(くまき すてじ、1882年〈明治15年〉7月2日… 熊木 捨治(くまき すてじ、1882年〈明治15年〉7月2日 - 1953年〈昭和28年〉5月)は、日本の教育者・文部官僚。 新潟県出身。新潟県立中学校を経て、1907年(明治40年)に早稲田大学文学部哲学科を卒業し、さらに1910年(明治32年)に京都帝国大学文科大学哲学科選科を修了した。同年より京都府立第二中学校教諭嘱託を務め、1916年(大正5年)に京都府女子師範学校教諭となった。京都府立第二中学校教諭、京都府立桃山中学校校長を経て、1927年(昭和2年)に文部省督学官に就任し、図書監修官を兼ねた。1941年(昭和16年)、高岡高等商業学校校長となり、1943年(昭和18年)に大阪第一師範学校校長に転じた。
安倍 邦衛(あべ くにえ、1882年〈明治15年〉3月10日… 安倍 邦衛(あべ くにえ、1882年〈明治15年〉3月10日 - 1950年〈昭和25年〉10月19日)は、日本の鉄道官僚、鉄道技術者、土木技術者。位階は正五位。学位は工学博士。 元鉄道省東京鉄道局工務課技師、東京地下鉄道初代技師長、元帝都復興院勅任技師、東京市電気局第4代技術長、元東京高速鉄道顧問技師。日本で最初の地下鉄の設計者。 新潟県中蒲原郡流作場新田(現 新潟市中央区三和町)出身。1900年(明治33年)3月に新潟県中学校を卒業、1903年(明治36年)7月に第四高等学校を卒業、1906年(明治39年)7月に東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業。 1906年(明治39年)7月に鉄道作業局に技手として入局、1909年(明治42年)12月28日に鉄道院技師に任官、中部鉄道管理局工務課に配属、東海道線の東京 - 横浜間の鉄道の改良工事に従事、以後、東京の国有鉄道の工事を担当。