スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
中村 祐介(なかむら ゆうすけ、1987年7月11日 - )… 中村 祐介(なかむら ゆうすけ、1987年7月11日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者である。 長野県上水内郡飯綱町出身。小学1年生からバレーボールを始める。 岡谷工業高等学校では高校1年時に静岡国体優勝を経験。 卒業後に国際武道大学へ進学。大学卒業後には、2010/11シーズン途中に、V・プレミアリーグ(当時のVリーグ1部リーグ)に所属する大分三好ヴァイセアドラーに入団した。同シーズンにV・プレミアリーグの試合に出場し、Vリーグデビューを果たした。 2011年、2010/11シーズン終了後、大分三好ヴァイセアドラーを1シーズンで退団した。このまま現役引退し、同年、V・プレミアリーグ女子に所属するパイオニアレッドウィングスのコーチに就任した。
越川 優(こしかわ ゆう、1984年6月30日 - )は、日… 越川 優(こしかわ ゆう、1984年6月30日 - )は、日本の元男子ビーチバレーボール選手、インドアバレーボール選手。元日本代表。ホリプロスポーツ文化部所属。 石川県金沢市出身。金沢市立野田中学校を卒業後、高校バレーの名門・長野県岡谷工業高等学校に入学。在学中の春の高校バレーでは2年生時にキャプテンとして準優勝。インターハイは1年生時に優勝、2年生時に準優勝、3年生時に3位入賞。3年生時での国体でも優勝を飾った。 2002年、釜山アジア大会で、(男子では)高校生初の全日本代表入りを果たす。高校卒業後、2003年にVリーグのサントリーサンバーズに入団。 2005年9月に行われた第13回アジア選手権では、ベストスコアラーを獲得し、日本の5大会ぶりの優勝に貢献。
勝野 裕士(かつの ひろし、1982年9月30日 - )は、… 勝野 裕士(かつの ひろし、1982年9月30日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。長野県大町市出身。ポジションはリベロ。Vプレミアリーグの東レ・アローズに所属していた。
木内 学(きうち まなぶ、1982年4月26日 - )は、日… 木内 学(きうち まなぶ、1982年4月26日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、現指導者。 長野県佐久市出身。実兄の影響で、浅間中学校1年よりバレーボールを始めた。 岡谷工業高校、国際武道大学卒業後、2006年にVプレミアリーグの堺ブレイザーズに入団した。 2011年3月31日、現役引退。 引退後の2011年からは、堺ブレイザーズにてキッズバレーボールスクールコーチ・堺ジュニアブレイザーズコーチ等で指導・普及活動を行う。 現在は興國高等学校教諭、バレーボール部監督を務めている。
松本 慶彦(まつもと よしひこ、1981年1月7日 - )は… 松本 慶彦(まつもと よしひこ、1981年1月7日 - )は、日本の男子バレーボール選手。 長野県長野市(旧戸隠村)出身。姉の影響で、中学1年よりバレーボールを始める。 高校時代は、岡谷工高の全国大会初制覇に貢献する。高校まではサイドアタッカーであった。 中央大学に進学後、ミドルブロッカーに転向する。 身長193cmとミドルブロッカーとしては小柄だが、リーチの長さ(指高の高さ)とジャンプ力によって、最高到達点は358cmと、全日本でも屈指の高さを誇る。 2003年にNECブルーロケッツに入団。2005/06シーズンの第12回Vリーグではベスト6とスパイク賞を受賞した。 2007年ワールドカップで、全日本代表に招集される。
濱島 哲也(はましま てつや、1980年11月14日 - )… 濱島 哲也(はましま てつや、1980年11月14日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 長野県下伊那郡阿智村出身。岡谷工業高校を卒業後、中央大学へ進学。学生時代にはジュニア代表に選ばれ、1999年のアジアジュニアに出場した。 中央大学卒業後の2003年にVリーグのNECブルーロケッツに入団し、チームのリベロとして活躍した。 2009年、NECの無期限活動停止による廃部に伴い、現役を引退した。 2025年時点ではNECレッドロケッツ川崎アカデミーでコーチを務めている。
中谷 宏大(なかや こうだい、1980年8月5日 - )は、… 中谷 宏大(なかや こうだい、1980年8月5日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者である。 2003年9月8日、FC東京への入団が発表された。 2010年6月1日、現役引退とFC東京のコーチ就任が発表された。 2014年7月16〜24日に渡り台湾の台北で開催された第17回アジアジュニア女子バレーボール選手権大会(U-19)にコーチとして参加。日本チームの2位入賞に貢献した。 2014年9月20日から10月2日に渡って韓国の仁川で開催された第17回アジア競技大会 女子バレーボール競技にコーチとして参加。 2015年5月20〜28日に渡り中国の天津で開催される第18回アジア女子選手権大会にコーチとして参加。
浅川 敏(あさかわ さとし、1976年8月28日 - )は、… 浅川 敏(あさかわ さとし、1976年8月28日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者である。 長野県須坂市出身。中学1年生のとき、2歳年上の兄の影響でバレーボールを始める。 バレーボール強豪校である岡谷工業高校に進学。中学・高校時代はチャアと呼ばれていた。 三橋栄三郎に憧れ、繰り返しビデオを見てはスパイクの練習に明け暮れる毎日を送る。めきめきと頭角を表し、長野県選抜に選ばれる。 1993年には全日本ユースに選出され、アジアユース選手権で準優勝、世界ユース選手権で準優勝の成績を修めた。1995年に中央大学へ進学、関東大学リーグではレシーブ賞を受賞した。 1999年、Vリーグ・東レアローズに入団。
山口 祐之(やまぐち ひろゆき、旧姓・市橋、1972年8月1… 山口 祐之(やまぐち ひろゆき、旧姓・市橋、1972年8月15日 - )は、日本の元バレーボール選手、現指導者。 長野県長野市出身。中学1年次よりバレーボールを始め、長野県代表として1987年のさわやか杯に出場した。高校は県内の強豪校である岡谷工業高等学校に進学し、1990年にインターハイでは準優勝に輝き、自らも優秀選手賞を獲得した。大学は筑波大学に進学し、在学中に全日本インカレでベスト4を3度果たした。 一方、国際大会では1989年に世界ユース、1991年に世界ジュニア、1995年にはユニバーシアードなどに出場した。 1994年に新日鐵ブレイザーズの内定選手となり、10年にわたり中心選手として活躍した。
井上 謙(いのうえ ゆずる、1963年2月15日 - )は、… 井上 謙(いのうえ ゆずる、1963年2月15日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 広島県広島市生まれ。大手製紙会社に勤務した父親の転勤が多く、長野県岡谷市や静岡県由比町(現・静岡市清水区)などで育つ。 岡谷工業高等学校、順天堂大学を経て1985年日本鋼管(現JFE)に入社。同年全日本代表入りし、1985年神戸ユニバーシアード優勝に貢献。 サウスポーの高い打点からの重いスパイクを武器に、1985年のワールドカップや1988年のソウル五輪などで大車輪の活躍を見せた。しかし、自身の試合中の怪我もあり、ソウルでの順位は全日本バレーのオリンピック史上最悪(当時)の10位に終わった。 1990年、椎間板ヘルニアを手術。