スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
曽根 圭介(そね けいすけ、1967年4月21日 -)は、日… 曽根 圭介(そね けいすけ、1967年4月21日 -)は、日本の小説家。 静岡県生まれ。静岡県立沼津東高等学校在学中には空手道部に所属し、NHKアナウンサーの佐々木彩は部の後輩であった。高校卒業後、1浪を経て早稲田大学商学部へ進学するが、後に中退。「25歳まではブラブラするから」と親に宣言し、アルバイト生活を続ける。25歳になった時にいよいよまずいと思い始め、池袋のホテルに正社員として就職。サウナ部門で5年間、漫画喫茶の店長など4店舗の統括運営管理者として5年間、計10年間働いたが、4週間で休みは6日という日々に消耗し、退職。36歳で無職になるが、貯金があったため毎日図書館で本を読むという生活を1年続ける。
稲沢 潤子(いなざわ じゅんこ、1940年10月5日 - )… 稲沢 潤子(いなざわ じゅんこ、1940年10月5日 - )は、日本の小説家。本名・岩田淳子。 静岡県出身。静岡県立沼津東高等学校からお茶の水女子大学を経て名古屋大学卒業後、出版社に勤務しながら小説を書き始める。1969年2月号の『民主文学』に「二足めの靴」が掲載され、作家としてのキャリアがはじまる。1972年には「紀子の場合」を発表。その後、『群像』『民主文学』を中心に多くの作品を発表する。 ルポルタージュの著作も多く、1981年の北炭夕張新炭鉱ガス突出事故を契機に夕張を取材し、『夕張のこころ』(大月書店)を刊行する。また、障碍者問題や千葉県立小金高等学校の卒業式問題に取材した著作もある。 1987年、夕張を舞台にした小説『地熱』で多喜二・百合子賞を受賞する。
川村 晃(かわむら あきら、1927年12月3日 - 199… 川村 晃(かわむら あきら、1927年12月3日 - 1996年1月4日)は日本の小説家。 日本統治時代の台湾・嘉義市出身で静岡県沼津市育ち。静岡県立沼津中学校(現・静岡県立沼津東高等学校)在学中、1941年小説を書いて停学処分となり、以後奇矯な振る舞いのため放校となりかけ、陸軍航空通信学校に入学、大阪の飛行場に配属されていた際に敗戦を迎える。文学書を耽読するが定職なく、自殺を企て後遺症を残す。1949年日本共産党に入る。筆耕職人として働く。58年離党、59年より『文学四季』に作品を発表、子持ちの女性と同居する。60年より『文学街』に小説を発表。 「美談の出発」(「文學街」1962年3月号)が同人雑誌優秀作として『文學界』に転載され、1962年上半期第47回芥川賞を受賞。
江崎 惇(えざき あつし、1915年9月28日 - 1995… 江崎 惇(えざき あつし、1915年9月28日 - 1995年1月8日)は日本の小説家。 静岡県出身。慶應義塾大学を卒業後、放送局勤務を経て作家活動に入る。主に時代小説の分野で活躍した。
井上 靖(いのうえ やすし、1907年(明治40年)5月6日… 井上 靖(いのうえ やすし、1907年(明治40年)5月6日 - 1991年(平成3年)1月29日)は、日本の小説家・詩人。主な代表作は「闘牛」「氷壁」(現代小説)、「風林火山」(時代小説)、「天平の甍」「おろしや国酔夢譚」(歴史小説)、「敦煌」「楼蘭」(西域小説)、「あすなろ物語」「しろばんば」(自伝的小説)、「わが母の記」(私小説)など。1950年(昭和25年)「闘牛」で芥川賞を受賞、私小説・心境小説が主流だった敗戦後の日本文学に物語性を回復させ、昭和文学の方向性を大きく変えた戦後期を代表する作家のひとり。劣等感から来る孤独と人間の無常を、時間と空間を通した舞台と詩情あふれる文体・表現によって多彩な物語のなかに描き、高い評価を得た。
橋爪 健(はしづめ けん、1900年2月20日 - 1964… 橋爪 健(はしづめ けん、1900年2月20日 - 1964年8月20日)は、日本の詩人・評論家・小説家。 長野県東筑摩郡松本町(現松本市)出身。静岡県旧制沼津中学(静岡県立沼津東高等学校)、第一高等学校を経て、東京帝国大学文科中退。1922年第1詩集「合掌の春」を刊行、ダダイスムの影響を受け1924年『ダムダム』創刊に参加。1927年『文藝公論』を創刊、主宰した。戦後は児童読物などを書いた。兄に橋爪恵、弟に橋爪克巳(1903-83)がいる。
芹沢 光治良(せりざわ こうじろう、1896年(明治29年)… 芹沢 光治良(せりざわ こうじろう、1896年(明治29年)5月4日 - 1993年(平成5年)3月23日)は、日本の小説家。静岡県沼津市名誉市民(1980年‐ )。1965年‐1974年に日本ペンクラブ会長を務めた。日本芸術院会員。 フランス留学後、『ブルジョア』で出発。『巴里に死す』で注目された。作品は父性希求、天理教を主題にしたもの、日本と西洋の対比やその矛盾を追究するものの系列があり、冷徹な目を据えながら、生と死、愛の問題を扱った主知的ヒューマニズム作家。日本よりもむしろ海外(特にフランス)で高い評価を受けた。特に1950年代に『巴里に死す』がフランスでも高く評価され、ノーベル文学賞候補者となったという噂も流れた。