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桑原 勝義(くわはら かつよし、1944年5月30日 - … 桑原 勝義(くわはら かつよし、1944年5月30日 - )は静岡県藤枝市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現・静岡県サッカー協会専務理事、日本サッカー協会理事、日本フットボールリーグ理事長。実弟は桑原隆。 1962年度高校サッカー選手権で静岡県立藤枝東高等学校が初優勝した時の中心選手。卒業後は日軽化工清水工場、名古屋相互銀行(以下、名相銀)などに所属し、1965年には日本代表に選出され国際Aマッチ2試合に出場した。 1971年、名相銀の解散で選手は引退し、銀行の仕事に専念するつもりでいたが、日本サッカー協会の幹部・長沼健に勧められ、生まれ育った静岡に日本リーグのチームをという仕事にロマンを感じ銀行職を捨て、翌1972年、前年創設された本田技研工業サッカー部に加入。
富沢 清司(とみざわ きよし、1943年12月3日 - )は… 富沢 清司(とみざわ きよし、1943年12月3日 - )は、静岡県藤枝市出身の元サッカー選手。選手時代のポジションはフルバック(FB)。 八幡製鉄(現・日本製鉄)サッカー部に所属。19歳にして日本代表に選出された経歴を持ち、1964年の東京オリンピック、1968年のメキシコシティオリンピックに出場。国際Aマッチ通算9試合に出場し、2得点を挙げた。主にストッパーを担当し、1対1の場面における粘り強いディフェンスを得意としていた。 2009年に開催された全国健康福祉祭(ねんりんピック)の静岡県選抜チームのメンバーとして出場したと報じられた。
橡尾 健次(とちお けんじ、1941年5月26日 - )は日… 橡尾 健次(とちお けんじ、1941年5月26日 - )は日本出身の元サッカー選手。 古河電工などに所属。古河電工での日本サッカーリーグ通算成績は61試合1得点1アシスト。日本代表としても1962 FIFAワールドカップ・チリ大会予選など、国際Aマッチ2試合に出場した。
松永 信夫(まつなが のぶお、1921年12月16日 - 2… 松永 信夫(まつなが のぶお、1921年12月16日 - 2007年9月25日)は静岡県志太郡出身のサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフルバック。「ベルリンの奇跡」の立役者だった松永行は実兄。日本軽金属などに所属し、日本代表として1954 FIFAワールドカップ・予選など、国際Aマッチ4試合に出場した。 静岡県立志太中学校(現静岡県立藤枝東高等学校)、東京文理科大学(現:筑波大学)卒業。第二次世界大戦中の1943年に陸軍に徴兵されフィリピン・ミンダナオ島に配属された経験を持つ。 戦後、志太クラブや後藤缶詰でプレーを続け、インドで1951年アジア競技大会が開催された際、日本代表に選出されたが、前述の陸軍の経験もあってビザの発給が許可されなかったという。
松永 行(まつなが あきら、1914年9月21日 - 194… 松永 行(まつなが あきら、1914年9月21日 - 1943年1月20日)は、静岡県志太郡出身のサッカー選手。ポジションはフォワード。 静岡県志太郡東益津村(現焼津市)出身。松永信夫、松永碩は実弟。静岡県立志太中学校(現:静岡県立藤枝東高等学校)に入学してサッカー部に所属した。なお、笹野積次は志太中での1年先輩に当たる フォワードを務め、100メートルを10秒8台で走る俊足であったという。東京文理科大学附置東京高等師範学校に入学し、蹴球部に所属。在学中の1935年6月に開催された全日本蹴球選手権大會(第15回天皇杯全日本サッカー選手権大会)に中垣内勝久らと出場して準優勝の成績を残した。 1936年のベルリンオリンピックの日本代表に選出。
笹野 積次(ささの せきじ、1914年頃 - 2004年以前… 笹野 積次(ささの せきじ、1914年頃 - 2004年以前)は、静岡県出身のサッカー選手。 静岡県立志太中学校(現・静岡県立藤枝東高等学校)の4期生にあたり、同中学5期生の松永行は1年後輩に当たる 志太中を卒業後は早稲田大学に入学して、ア式蹴球部に入部した。在学中の1936年に開催されたベルリンオリンピックの日本代表に選出されたが出場機会は無かった。 また、在学中の1938年6月に開催された全日本蹴球選手権大會(第18回天皇杯全日本サッカー選手権大会)の優勝メンバーとなった。現役引退後は静岡県の職員を務めた。 なお、詳細な没年は不明であるが、2004年3月時点で故人となっている