スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
松澤 海斗(まつざわ かいと、2001年2月5日 - )は、… 松澤 海斗(まつざわ かいと、2001年2月5日 - )は、静岡県富士市出身のサッカー選手。 ジュピラー・プロ・リーグ・シント=トロイデンVV所属。 ポジションはミッドフィールダー(MF)。 2023年3月31日に名古屋経済大学からV・ファーレン長崎に加入した。 2023年7月22日のJ2・モンテディオ山形戦にJリーグ初出場。翌週29日のロアッソ熊本戦でJリーグ初得点。 2025年6月21日、海外クラブへの移籍を前提とした準備のため長崎を離脱することが発表。6月28日、ベルギーのシント=トロイデンVVへ完全移籍することが発表された。 2025年6月29日、シント=トロイデンVV移籍発表の翌日に入籍を発表。
藤井 聖(ふじい まさる、1996年10月3日 - )は、神… 藤井 聖(ふじい まさる、1996年10月3日 - )は、神奈川県海老名市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 海老名市立杉久保小学校3年時に海老名フレンズで野球を始め、海老名市立大谷中学校時代は瀬谷リトルシニアに所属。小・中学校時代は外野手だった。瀬谷リトルシニアでは鈴木翔天とチームメイト。 富士市立高校時代に投手に転向。当初はオーバースローだったが、3年春にスリークォーターのフォームに変更する。3年夏の大会では、初戦の藤枝東戦で9回ノーヒットノーランを記録。チームは2回戦で東海大翔洋に敗退。 東洋大学法学部法律学科に進学後、再びオーバースローに戻すと2年春にリーグ初登板。
武藤 潤一郎(むとう じゅんいちろう、1969年3月15日 … 武藤 潤一郎(むとう じゅんいちろう、1969年3月15日 - )は、静岡県富士市出身の元プロ野球選手(投手)。 吉原商業高卒業後、専修大学に進学。岡林洋一(元ヤクルト)、杉山賢人(元西武など)が同期。1年後輩に町田公二郎(元広島など)がいた。東都リーグ最多となる31回目の優勝に貢献。1部リーグ通算35試合に登板、6勝8敗、防御率3.54。 大学卒業後、プリンスホテルでは1992年に都市対抗野球で完封や好リリーフにより優秀選手賞、1992年度ドラフト会議にて千葉ロッテマリーンズから1位指名を受けて入団。ドラフト指名時は、千葉マリンスタジアム近くに建設中の幕張プリンスホテルで工事用のヘルメットを着用して写真撮影に応じた。
高野 進(たかの すすむ、1961年5月21日 - )は、日… 高野 進(たかの すすむ、1961年5月21日 - )は、日本の陸上競技選手、指導者。男子400mの元日本記録保持者である。静岡県富士宮市出身。富士市立吉原商業高等学校、東海大学体育学部卒業。東海大学大学院修了。東海大学体育学部競技スポーツ学科専任教授、東海大学陸上競技部監督。日本スプリント学会会長。日本陸上競技連盟理事。北京オリンピックおよびロンドンオリンピック陸上競技日本選手団監督。 富士宮市麓生まれ。高校から陸上競技に本格的に取り組む。当初は棒高跳を専門にしていたが高校1年時の練習中にひざを故障、足が速かったこともあって短距離に転向し、400mを中心としたスプリンターとなる。東海大学進学時は文学部に入学したが後に体育学部へ進み、学部卒業の後は大学院修了を経て母校の講師に就任した。
加藤 初(かとう はじめ、1949年12月20日 - 201… 加藤 初(かとう はじめ、1949年12月20日 - 2016年12月11日)は、静岡県富士市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者、野球指導者。 吉原商業高校(1年次は吉原市立、2年次より富士市立)から亜細亜大学に進む。入学早々に膝を悪くし、実家近くの信頼ある鍼灸医の治療をうけ回復した。その帰京の際、亜細亜大学を中退した友人宅へ途中下車して寄り、一泊の予定だったが大学でのシゴキがあったことから三週間も滞在してしまい、復学しづらくなって入学後3ヶ月あまりで中退した。 社会人野球の大昭和製紙へ入社し、4年目にエースとして第42回都市対抗野球大会へ出場。秋の日本産業対抗野球大会では優勝候補の熊谷組を1安打完封して優勝に貢献した。
早川 一枝(はやかわ かずえ、1947年6月13日 - )は… 早川 一枝(はやかわ かずえ、1947年6月13日 - )は、日本の元競泳選手。静岡県出身。1964年東京オリンピック日本代表。400m・800m・1500m自由形の元日本記録保持者。 富士市立富士中学校、吉原市立商業高等学校、別府大学卒。 1962年アジア競技大会の400m自由形で2位入賞を果たした。 1964年東京オリンピック日本代表に選出された。400m自由形に出場し、予選落ちだった。 1966年アジア競技大会に出場、400m自由形と400mフリーリレーで2冠を達成した。 日本選手権の400m自由形では4連覇、800m自由形では6連覇を達成している。400mの4連覇は6連覇の五十嵐千尋、5連覇の山田沙知子に次ぐ歴代3位の記録。